震える肩を


しまった!
そう思った時には、たしぎの視界は闇に遮られていた。


*****

たしぎはゾロの姿を見かけ、後を追っていた。
二、三日前に麦わらの一味の目撃情報を受けていた。

砂塵が舞う、荒れた街だった。
流れ者が集まり、酒場は無法地帯のごとく まだ陽が高いうちから嬌声と怒号が溢れていた。

たしぎは手配書を見せながら、尋ねて回る。
「この男を、見かけませんでしたか。」

荒くれ者どもが素直に答えることは少なく、 卑猥な言葉や、海軍への侮蔑の言葉をを浴びせる。

無言で時雨を抜き、絡んできた男の一人の武器をたたき落とし、
喉元に刀を突き付けるパフォーマンスを見せなければ、 こちらの言うことなど聞こうともしない。

ふと、2ブロック先の角を曲がる三本の鞘が目に入る。
その瞬間、たしぎは駆け出していた。
ゾロの後姿を見かけ、気が急いていたのかもしれない。
気持ちが高ぶり、ゾロの姿しか目に入らなかった。

角を曲がると、男はたしぎの気配を感じ取ったかのように走り出す。
フードをかぶった男は、後ろを振り返りもしない。
少しの違和感。
その男が、立ち止まり振り向いた時に、その違和感は確信へと変わった。

後ろから羽交い締めにされ、首を圧迫され目の前の景色が霞んでいく。
たしぎは気を失い、その場に崩れ落ちた。


******

たしぎは、叫び声とドサッと人が倒れるような音で、意識を取り戻した。
目を開けると、酒場で騒いでいた海賊たちが地面に倒れている。
薄暗い、何処か建物の中のようだ。
柱に縛り付けられていて、動けない。
倒れた男たちを踏み越え、目の前に男が立ちはだかる。
ヤラレル。
恐怖と緊張が全身を走る。

しかし、男が振り下ろした刀はたしぎ縄を切り、身体が自由になった。
両手を前について、見上げた先にはゾロが立っていた。
すぐに立ち上がろうとするが、ふらつく身体が言うことをきかない。

「うぅ・・・」
すぐ側で、倒れていた男が呻く。

ビクッ。たしぎの顔が強ばる。
それを見て、ゾロはたしぎを抱きかかえると歩きだす。
ゾロの腰には時雨がさしてある。
たしぎは、無言でゾロにしがみついた。


******

たしぎを、海賊のアジトから連れ出し、街を離れる。
海を見渡せる雑木林にたどり着いた。
抱きかかえたまま、腰を下ろして、木にもたれかかる。

海賊らしい一団が、時雨を持ち歩いていたのを見かけ、 問答無用で、アジトまで案内させた。
たしぎが無事でいるのを見て、心底ホッとした。
オレを追って、やられたんじゃ夢見が悪ぃからな、と自分に言い聞かせる。
こいつは、また一人で酒場をうろうろしてたんだろう。
そんじょそこらのゴロツキどもにやられるような奴じゃねぇ筈なのに。

*****

油断した。
ロロノアを見つけ、周りが見えくなっていた。
任務で寝不足が続いていた。
今日は、朝から身体が重かった。

理由を挙げればきりがない。

浮かんでくる言い訳を全て飲み込んで、迂闊な自分への戒めと対峙する。
一瞬の油断が、命取りとなる。
あそこで、殺されてもおかしくなかった。
悔しかった。
情けなかった。
許せなかった。

恐ろしかった。

流れる涙は安堵の涙なのか、それとも、悔し涙なのか解らない。
どうしても、止めることが出来ない。

ただ、目の前の胸に顔を埋め、ひたすらに、その温もりに触れていたかった。



********

ゾロにしがみつくたしぎの肩が細かく震えている。
胸に顔を埋めたまま、声も出さずに泣いている。

ゾロはたしぎの身体を支えながら、背中に手を置いている。


何も言わずに、ずっと待っていた。
たしぎが立ち上がるのを。

この海では、自分の足で歩けない者は、何も出来ずに流されていくだけだ。
オレを追うと言うのなら、その足で歩き出せ。
お前があきらめるというのなら、責めやしねぇ。
おとなしく、どっかの島で暮らせばいい。

歩き出すなら、その背中を送り出す。
オレがしてやれることは他に何もない。

こうやって、胸を貸すだけだ。
好きなだけしがみつけばいい。

行くなとは言えない。
行けとも言えない。

だから、今だけは側にいる。



たしぎの吐息が胸を熱くする。
濡れたまつ毛が、腕の中で艷めく。
背中に置いた手に力がこもる。


脈打つ鼓動と波の音がたしぎの心を落ち着かせる。
繰り返すさざ波が、全てを浄化してくれるように。

どれほどの時が経っただろうか。
たしぎが、手を離しゆっくりと立ち上がる。
「船に戻ります。」
手には時雨を携えている。
「今日は、助けてくれて、ありがとうございました。」
深々とお辞儀をして、ゾロを見つめる。
その瞳には揺るぎない光が戻っていた。
ゾロは黙って頷く。

たしぎは背を向けて歩きだした。
その姿が見えなくなると、ゾロはすっと立ち上がる。


*****

「お〜〜〜い、ゾロ〜〜〜!遅せぇぞ!」
船に戻ったゾロに、ウソップが声を掛ける。
「わりぃ。」
素直に詫びる。
「またぁ、迷子になってたんでしょ、どうせ。」
ナミが、からかうように笑う。
「ああ、迷ってた。」

「行けるか?ゾロ。」ルフィが問う。
「あぁ。待たせたな。」

皆でゾロの帰りを待って、錨を上げる。
「よ〜〜〜し、野郎ども〜出発だぁ!」
ルフィが両手をあげ、号令をかける。

風をはらみ、帆が膨らむ。
朝日と共に、再びグランドラインを突き進む。


走っていれば、いづれまた会えるだろう。
必ず、また・・・
ゾロは、腕を組みながら、じっと前を見据えていた。


〈完〉


簡単に手を差し伸べたりしない男ですが、これくらいは、いいよね。