泣き言


ごそっ。
隣の動く気配で目が覚める。

たしぎが帰り支度を始めたようだ。
いつも、ゾロを起こさぬように、そっと部屋を出ていく。
ゾロも起きない。
次の約束を交わさない二人の、暗黙のやりとりになっていた。

ところが、今日はいつもと違っていた。
ベッドの縁に座ったたしぎが、動こうとしない。
陽は昇り、朝日がカーテンの隙間から差し込んでくる。


むくりとゾロが起き上がる。
「なんだ、まだ居たのか。」
たった今気づいたかのように、欠伸をしながら、たしぎの背中に声を掛ける。

一瞬、たしぎの背中がピクッと反応する。
背を向けたまま、たしぎが呟く。
「なんだか、帰りたくなくて・・・」


ゾロが後ろから手をのばし、たしぎのシャツの下に手を入れる。
柔らかな手触りが、昨日の余韻を思い起こさせる。
座ったまま、両手でたしぎを抱きしめると、肩に額を乗せる。


「このまま、何処かに連れて行って下さい・・・」
たしぎが、小さな声で呟く。

ゾロの手に力が籠る。
少しでも触れる部分が増えるように、ギュッと引き寄せる。
肩から首筋をゾロの唇がたどっていく。
少し息を吸い込む気配がした。


「本気か。」
ゾロの声は、低く、静かだった。



「・・・・・」
答えられなかった。
うなだれたたしぎは、静かに首を振る。


ゾロの手は、緩むことなくたしぎを支えている。


ギュッと唇を噛み締める。



実現しない、ただの戯言。

上手くいかない仕事と
貫き通せぬ己の正義。

疲れ果てた故の、浮かんだ逃避行。

自分の甘えた一言が、ロロノアを怒らせてしまったのか。


*****


会ったときから、浮かない顔をして、
何かから逃げるように、しがみついてきた。

今のが、本気でないことは簡単に想像がつく。
それでも、敢えて、問う。

見失うな。

頭とは、裏腹に、廻した腕は離せずにいる。
何処か遠くで、お前を抱いていたい。



*****



ゾロの吐息が首筋にかかる。
「・・・泣き言なら、聞いてやる。」

その言い草が気に障った。
「・・・できる訳ないじゃないですか。
 海軍の私が、海賊のあなたに仕事の愚痴なんか、
 言える訳ないじゃないですかっ!」

語尾が次第に荒くなる。
「何ですか!人の気も知らないでっ!!!」
くるっとゾロの腕の中で、向きを変えると
げんこつで、ゾロの胸を叩く。

「いて。」

手も足もバタバタして、ゾロの腕の中で暴れ出す。
「もう、ロロノアの馬鹿っ!」

「いてて。」
そう言いながらも、たしぎの身体に廻された腕は
ほどけることなく、揺るがない。

不意に、ゾロの手に力がこもり、動けなくなった。
シャツを通してゾロの体温が伝わってくる。


「いつでも、連れってってやる。」
力強くて、優しい声だった。

たしぎは、ゾロの腕の中で、目をつぶると、
その響きを噛み締める。

顔を上げれば、からかうようないつもの笑みを浮かべ、
たしぎを覗き込んでいる。

それに応えるように、たしぎは頬を膨らませて
ぷぃっと、横を向く。
そして、笑いながら、小さい声で呟く。


「・・・まだ、いいです。」

なにが、『まだ』なんだろう。

思いながらもたしぎは、ゆっくりとゾロの手を解くと、立ち上がる。


ゾロの真っ直ぐな瞳は、たしぎを見つめたままだ。

その視線を、受け止めて、こくりと肯く。
「もう、行きますね。」

ゾロは何も言わない。
たしぎは、少し微笑んで、背を向けた。
ジャケットと時雨を手に取ると、
ドアを開け、いつものように出ていった。


*****


すっかり明るくなった陽射しの中、
たしぎは、海軍基地へと向かっていた。

自分の頬をピシャピシャと両手で挟むように叩く。

まだ早い朝の空気は、澄み切って、身を切るように冷たかった。
背をのばして、顔を上げる。




ふふふ。
あなただって、本気じゃないくせに・・・

ありがとう。

たしぎの心はもう曇ってはいなかった。



*****


ドアが閉まると、ゾロはベッドに仰向けになった。
触れなければ、名残も覚えずにいられたのに。

自分の手を見つめ、その感触をかき消すように、
ギュッと握りしめる。

お前が望むなら・・・か、
・・・らしくねぇな。


笑っている自分に気づいた。
嘘じゃねえ。


ふぁ〜〜〜〜っと大きな欠伸をひとつすると、
のそりと立ち上がる。

首を回して、もう一度、大きく伸びをする。

服を身に着け、刀を腰に差した。

さぁ、戻ろう。

ゆっくりとドアが閉まる。

ほんの一晩、二人だけの時間をそこに残して、
また一日が始まろうとしていた。



〈完〉



ゾロは、素直に甘えさせてはくれないんだろうな〜。
愚痴りたい時だって、あるのに。
ゾロなりの、優しさ。