濡風


2


ぶるぶるぶる・・・

激しい雨の音で、ライトが点滅しなければ
分からなかった携帯をたしぎは手に取った。

「ロロノア?」


「まだ、学校いんのか?研究棟、電気ついてるから。」

「うん。今終わったとこ。
 あ!もう、こんな時間なんだ!
 ロロノアは?」

「もう、帰るんだろ。下で待ってる。」

そう言うと、返事も待たずに電話が切れた。

たしぎは、広げていた資料をバタバタと片付けて
帰り支度をすると、
研究室の鍵をかけて、階段を下りた。

建物の軒先で、ウィンドブレーカーの上下を着て
リュックを肩に待つゾロは、部活の帰りのようだった。

「飯食ったのか?」

「え?うん、おにぎり食べたよ。ロロノアは?」

「ああ、部の奴らと食べた。お前、こんな時間までやってんのか?」

「来週の研究発表の準備で。あ、でも、今日頑張ったから
 大体、終わったよ。」
嬉しそうに、笑うたしぎを、呆れたように見る。

「この雨ん中、どう帰るつもりだったんだよ。
 もう、バスも少ねえだろ。」

さっきから、大声で話しているのは
どしゃ降りの雨と風の音のせいだ。

時計は、9時を回っていた。

たしぎのアパートまで、晴れていれば、自転車で20分ぐらいの距離だ。
歩いても、30分あれば着くだろう。

雨足は、収まるどころか、激しくなってきている。


「行くぞ。」

歩き出す、ゾロの背中を追った。

外に出たとたん、スニーカーは中まで濡れてしまった。
横なぐりの雨に、傘はほとんど役に立たない。
たしぎは、バッグを胸に抱えるように歩く。
中の資料が濡れてしまわないように。

そのすぐ前を、風の盾になるかのように
ゾロが歩く。

バス停で、次のバスが30分も先なのを
確かめて、再び歩きだした。


途中の信号で、気づいたように
ゾロはたしぎのバッグを持つと、
ウィンブレの前を開けて、濡れないように
中に包み込む。

「大丈夫、自分で持つから。」

「いいから。ちゃんと前みて歩け。」

さっき、つまずいて転びそうになったの
気づいていたんだ。






ガチャ。

アパートのドアを開けて、
中に入ると、自然に大きなタメ息が出た。

「はぁ・・・凄かったね。」

「あぁ、ひでぇ天気だ。」


「タオル持ってくる。」

たしぎは、ビチャビチャに濡れた靴下を脱ぐと、
洗面台からタオルを持ってきた。

たしぎのバッグを取り出して、廊下に置いた
ゾロの頭からは、雨の雫がポタポタと滴り落ちている。

「ごめんね、こんなに濡れちゃって・・・」

屈んだゾロの頭に、タオルをかぶせる。

ゴシゴシと髪の毛を拭くたしぎの手首を、
ゾロの指先が、ゆっくりと遮るよにつかんだ。


何も言わずに、ギュッとたしぎを抱き寄せる。

雨で濡れた身体は、冷えきっている筈なのに、
たしぎの身体は、急に熱を帯びる。

「・・・このまま、帰ったら、風邪ひいちゃう・・・
 今日は、泊まってって・・・」

とぎれとぎれに、ゾロの腕の中で、伝えた。

何も答えないゾロの腕に、力が入った。




「あの、お風呂、お湯入れてくるね。」
そっと、身体を離すと浴室に向かった。

タオルをかぶったゾロの顔は、よく見れなかった。


「オレは、中、そんな濡れてないから、
 先に入れ。」
タオルをかぶったままのゾロが、玄関に佇んだまま
静かに言う。

「・・・うん、急いで入っちゃうね。」

「ばか、ゆっくりあったまんねぇと風邪ひくぞ。」

たしぎが浴室に消えると、ゾロは、濡れたウィンブレを脱いだ。






ガチャ。

ゾロがたしぎと交代して風呂に入り終え、
脱衣所兼洗面所に出ると
なんだか旨そうな匂いがしてた。

ゾロは、置いてあったバスタオルで身体を拭くと
少し考えてから、着ていた服をそのまま身に付けた。

多少、湿っているが着れなくはない。


居間に行くと、たしぎはTシャツに7分丈の
スエット生地のパンツにパーカーを羽織った
ラフな格好だった。

そのまま寝るんだろうな。
そんな事を考えながら、居間で腰をおろした。

「あ、ちゃんとあったまった?
 雑炊作ったんだけど、食べる?」

「あぁ。」

テーブルに、小さめのどんぶりに盛られた
コンソメ風味の卵雑炊が出てきた。

「旨そうだな。」

「お腹すいちゃって。」

ゾロの右隣に、ちょこんと座るたしぎ。

「あんな時間まで、大変だな。」

「うん、でも大体終わった。明日はゆっくり出来るんだ。
 ロロノアは?明日も練習でしょ?」

「いや、明日は、各自軽めの調整。日曜、記録会だから。」

「そうなんだ。」

「・・・」

「あ、食べよう!冷めないうちに。」

「あぁ、いただきます。」

「いただきます。」


*****


食後に、たしぎがココアを作ってくれた。

ゾロが飲んでる間、たしぎが横で布団を敷いていた。

なんだか、緊張してくる。

たしぎは、ゾロの隣に戻ると、寄り添うようにココアを飲んでいる。



たしぎのやわらかさが、ゾロを動かした。

たしぎが、カップをテーブルに置いた瞬間に、手首を掴んだ。


そのまま、顔を近づけて唇に触れる。
甘いキス。

あ。

たしぎが、息を呑むのが分かった。


手首を握ったまま、もう片方の手を背中に廻す。
もっと自分に抱き寄せたくて。

途端に、こわばるたしぎの身体。
握りしめた手に力がこもる。


拒否されてる。
ゾロは、胸のあたりがぎゅっとつかまれたように苦しくなった。


たしぎから手を離すと、
下を向いて、たしぎの肩に額を乗せた。

「なぁ・・・オレ、なんか悪いことしたか?」

たしぎの身体が一瞬、ビクッとなって、固まる。

首を振っているのが分かった。

「ち、ちがうの・・・ロロノアのせいじゃ、ないの・・・」
必死に話そうとするたしぎの声は、震えていて、なんだか泣き出しそうな感じだった。

「わかんねぇ。」

怒っていたのかもしれない。

言葉に、棘があった。



ロロノアのせいじゃないのに。
ちゃんと、言わないと・・・


ゾロの頭と背中が、ぬくもりに包まれた。
恐る恐るといった感じだが、たしぎの触れた指先は優しい。

急に、ぎゅっと抱きしめられ、
ゾロはたしぎの胸に顔を埋めるような体勢になった。

Tシャツごしの胸は、やわらかくてゾロは目をつぶった。

「ごめんなさい。わたし、分からなくって・・・」

ゾロは、黙って先を促す。

「・・・どうしたらいいか・・・」


「何が。」



「訳わかんなくなっちゃうの・・・」

「だから、何がだよ。」

たまらず、顔をあげる。

たしぎに抱き締められたまま、頬と頬がくっつきそうなくらい近くて
たしぎは、顔を背ける。

「ロロノアと・・・すると・・・・」

すぐ目の前に、真っ赤になってるたしぎの耳があった。
唇を寄せる。

軽く触れると、たしぎがビクリと身体を震わす。



ゾロは、今のたしぎの言葉を頭の中で反芻する。

「嫌なのかと思った。」

「ち、ちがう・・・嫌じゃ・・・ない。」

「嫌じゃないんだな。」

コクリと頷く。



たしぎからは見えないゾロの口元が
微かに上がった。



「オレは・・・そういうたしぎを・・・もっと見たい。」

言いながら、たしぎの耳をべろりと舐める。

「ひっ!」

ゾロの顔から、さっきまでの、不安げな表情はすっかり消えていた。

たしぎのTシャツの下に手を滑り込ませる。


「明日は、ゆっくりできるって、言ってたな。」

「・・・んっ・・・えっと・・・」

返事を待たずに、たしぎに覆いかぶさる。

「・・・んっ・・・や・・・ちょ、ちょっと・・・待って・・・」



「断る。」

そう言うと、たしぎの唇を塞いだ。


〈完〉





そんなん言われて、待てるかよっ!
ゾロ、おあずけを解かれた犬のように・・・ H24.11.4