涼風



あぢぃ。

ゾロはグランドの片隅の木陰で、寝転がっていた。

大学は夏休みに入り、連日、陸上部の練習が続いていた。
今日の練習が終われば、週末の休みをはさんで、来週は涼しい避暑地での
合宿が待っている。
どっちにしろ、一日練習でキツイのには変わりはないが、
涼しい分だけ、まだ気が楽だ。

手元のポカリと麦茶のペットボトルは、残りも少なく、
ぬるくなって手が伸びない。
練習の後すぐには、何も食べる気になれず、
昼食がいつも三時頃にずれ込む。
疲れと時折吹く風に、少しまどろむ。


冷てぇ!

頬に当たる冷たさを感じて目を開ける。
顔の側で、たしぎがしゃがんで、ゾロをのぞき込んでいた。
「何すんだよ!」
急に現れたたしぎに、驚きを隠せず、語気が荒くなってしまう。
たしぎは、気にするでもなく、笑いながら、かき氷バーが入った
コンビニの袋を、目の前に差し出す。
「ふふ、ほんと、よく寝るのね。」
「うるせぇ。」
「はい、差し入れ。練習終わったんですよね。」

むくりと起き上がり、たしぎを見る。
Tシャツに七部丈のパンツ。足元はスニーカー。
化粧っけもなくて、相変わらず色気も何にもない格好に、
ゾロは、何故か少し安心する。

たしぎが、隣に腰を下ろし、袋からかき氷バーを二つ取り出す。
「ソーダといちご、どっちがいい?」
「ソーダ。」
「ふふ、やっぱり。」
何がやっぱりだ。ムッとしながらも、受け取る。
「ご馳走さん。」
ほどよく溶けたかき氷バーは、口の中で崩れ、頭がシャキっとする。
大きな口で頬張るゾロを、満足そうに見ると、たしぎも食べ始める。
「ん〜、美味しぃ。」
「やっぱ、暑い時に、食べないと。こういうのは。」
一人で喋りながら賑やかな奴だ。
「あ〜〜っ!」
急に大声を上げるので、見るとたしぎのアイスが崩れて地面に落ちていた。
「あぁ、まだ半分も食べてないのにぃ。」
「ったく、ごちゃごちゃ喋ってんからだろ。トロくせぇなぁ。」
「・・・う・・・」

にやっと笑うとゾロは自分のアイスを差し出す。
「食うか?」

「いいですよぉ。」
プッと膨れて、そっぽを向くたしぎの口元に近づける。
「ほれ。」
「じゃあ、一口だけ・・・」
と言い、パクッと噛る。
嬉しそうじゃねぇか。
たしぎの噛る場所がまずかったのか、ゾロのアイスが崩れかかる。
「おっと、危ねぇ。」
落ちる瞬間、ゾロが大きく開けた口で受け止める。
「まったく、人の分まで落とすなよ。」
「へへ・・・」
まったくガキみたいだ。
いや、オレがか?
照れて笑うたしぎを、ゾロも笑って見ていた。

さっきまで静かだった蝉が一斉に鳴き出して
お互いの声が聞こえなくなる。
木漏れ日が、眩しくて思わず目を細めた。
言葉が途切れ、たしぎの肩がゾロの腕に触れる。
蝉の声の中、動けずにいた。



「あ、明日の夜、時間ある?」
たしぎに話しかけられ、はっとする。
「明日?」
こくんと頷くたしぎの顔が、近すぎると思って、ドキドキする。
「あ、あぁ。別に予定はねぇ。」
「じゃぁ、花火見ませんか?」
そういえば、明日は海辺で花火大会があるとか、部員達が話してたな。
「別に構わねぇけど。」
「よかった。えっと、明日夜七時に、西門の前でいいですか?」
「あぁ、わかった。」
たしぎは立ち上がると、アイスのゴミを、ささっとまとめてコンビニの袋に入れる。
「じゃあ、ロロノア、明日。」
小さく手を振ると、軽やかに去っていった。

もう一度寝転がるが、すっかり目が覚めてしまい、暑さが戻ってきたようだった。

「あちぃ。」
もう一度、呟くと首の汗を拭った。



******






次の日の夜、たしぎの分のヘルメットをシートに着けて、 大学へ向かった。
七時じゃ、会場に着く前に、花火大会が始まってしまうじゃねぇか。
そう思いながら、門に着くとたしぎが構内から手を振ってゾロを呼ぶ。
「ロロノア〜、こっち、こっち。」

近づいて、バイクのエンジンを切る。
「花火見に行くんじゃねえのか?」

「はい。だから、学校で見るんですよ。」

いつもの場所にゼファーを置くと、たしぎのあとをついて行く。
たしぎが向かった所は、たしぎのゼミの教室がある棟の屋上だった。
「へぇ、こんなとこ、入れんのかぁ。」
「鍵が壊れてるんですよ。教授達も知らないし、誰もこんな所来る人もいないし。」

「ここから、よく見えるんですよ。」
たしぎが、立った場所の向こう側の空に、パッと花火が上がる。
だいぶ遅れて、ドンと小さく音が聞こえた。
「あ、始まりましたね。」

遠くから眺める花火は、小さくて御殿まりのように可愛らしかった。
たしぎは、時折、あっとか、わぁとか、声をあげて嬉しそうに眺めている。

「ほんと、花火、大好き。綺麗だなぁ。」
うっとり、眺めながらたしぎが呟く。
柵にもたれ掛かりながら一緒に見ていたゾロが応える。
「そんなに、好きなら、会場まで行って見りゃいいだろ。」

「一度、会場まで行ったことはあるんです。でも、すごい人混みで、
 くじけて帰って来ちゃったんですよね。」

「いいんです。私は、ここから、ゆっくり見ている方が・・・」

「そんな最初から諦めてたんじゃ、手に入るもんの入らねぇ。
 案外、花火の真下に絶好の穴場って、あるもんだぜ。」
ゾロは、今日たしぎを連れて行くつもりだった場所を思い浮かべながら、
ぶっきらぼうに呟く。

「・・・・」
たしぎは、下を向いて微笑んだように見えた。

行く気があるなら、オレが連れてってやる。
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。

顔を上げたたしぎの大きな瞳が濡れているように見えた。
遠くの花火が、瞳に映っている。

そのまま、何も言えなくなって、ゾロは遠くの花火に目をやった。



屋上は、風がよく通り、昼の暑さを忘れさせてくれた。
たしぎは何もなかったかのように、感嘆の声を上げている。
その様子に、ゾロは少しホッとする。



少し間隔があいた後に、空が明るくなる程連続で花火が上がり、
そして、一際大きいのが上がった後、静かになった。

「終わったようですね。」
前を見つめたまま、たしぎが口を開く。
「あぁ。」
ゾロも、前を見たまま、頷いた。

「ロロノアの言う通りですね。」
そう言いながら、ゾロの方に向き直り、見つめたたしぎの瞳は
もう、濡れてはいなかった。
「私、夏休みが終わったら、もう一度、スモーカーさんに
 会ってきます。」

「・・・そうか。」
ゾロは、そう答えるだけで精一杯だった。



*****

たしぎを送り、自分のアパートへ戻ったゾロは、
何もする気にもなれず、テレビをつけた。
音を消した画面からは、外国の映画が映し出されている。

あいつとスモさんとの間に何があったのか、
オレには解らねぇ。

あいつは、まだ、好きなんだ。

わかってた筈だ。
最初から。

何だよ、この歯がゆさは。
モヤモヤした想いが、自分自身を苛立たせる。

たしぎがあの日、帰り際に言った言葉が、繰り返し思い浮かぶ。

ゴメンね。

どういう意味だよ。



はっと気づくと、時計は、午前4時を指していた。
全然眠れたような気がしない。

ふーっと、大きく息を吐いて、立ち上がる。
テレビを消すと、部屋を出た。

何も考えずに、いつも通り準備をして、
人気のない街へと、走り出した。

朝日を浴びたかった。
そうすれば、自分が何をしたいのか、何を望むのか
分かるだろうと。
まだ明けぬ夜の中、踏み出したゾロだった。


〈完〉


はじける鼓動胸に感じて〜去りゆく夏感じていたい〜〜