「その女を離しなさい。
私が、身代わりになりますから。」
たしぎは、刀を抜かないことを示すように
時雨を持った両手を広げる。
「はぁ?テメェみたいな海軍の女を抱いたって、
気持ちよくねぇだろ。」
この船の船長だろう。
船の真ん中に陣取り、腕に女を抱き寄せている。
化粧はしているが、まだあどけなさを残している女は、
どう見ても16、7だ。
自分の身に起こるであろう事を想像し、
恐怖で声も出せずに震えている。
「はっ、そんな子供が好みなんて、
まだ、若いのね。」
笑みを浮かべる。
「海軍の男たちにも、飽きたところだし、
少しは骨のある海賊も、悪くないかと思ったけど、
期待外れだったかしら。」
よく、こんなハッタリを言えたものだ。
自分でも驚く。
膝の震えは、気づかれていない。
船長はまだ若い。
短い髪が、少しだけあの緑色を思い出させる。
くっ。
自嘲の笑みが、漏れる。
それが、余裕と取られたようだ。
船長が掴んでいた女を離し、
部下に縄をほどかせる。
「運がよかったな、行け。」
フラフラとよろめきながら、歩き出す。
「ちょっと待て。」
船長が呼び止める。
女はびくっと立ち止まり、恐る恐る振り返る。
「この海兵の刀、持ってけ。」
「お前が逃げたとたん、暴れられたんじゃ、
かなわねえからな。」
案外、馬鹿でもなさそうですね。
女は、たしぎに近づいて時雨を受け取る。
「3番埠頭に行きなさい。」
小声で、そう伝えた。
海軍の船に伝われば追って応援が来るだろう。
たしぎは、応援を待つつもりはなく、
一人で、この船を沈めるつもりだった。
刀なら、奪えばいい。
時雨でなくとも、やれる自信はあった。
女が船を降り、走るように逃げていくのと確かめると
ゆっくりと、海賊どもに向き直る。
「さぁ、誰が相手なの?」
腰に手を置いて、挑発するように船長を睨む。
ザワザワと船員たちが、卑猥な言葉を投げかける。
「姉ちゃん、俺はどうだ?
ヒィヒィ言わせてやんぞ!」
「てめぇは駄目だ、小っちぇえだろ。」
「なぁ、俺のも可愛がってくれよ〜。」
卑下た笑いが起こる。
「どれ、味見してやる。」
船長がゆらりと立ち上がる。
たしぎの前まで近づくと、側にいた部下に
たしぎの両手を前で縛らせる。
その両手を高々と持ち上げると、たしぎの足が床から少し浮いた。
片手でたしぎを持ち上げ、もう片方の手で、
胸元から、たしぎのシャツを引き裂いた。
露わになった胸元に歓声が上がる。
「ひゃっほ〜〜!」
「いいぞ、船長!ひん剥いてしまえ!」
船長の視線がたしぎの身体を遠慮なく舐めまわす。
「思ったより、いいカラダしてんじゃねぇか。」
何も感じない。
身体をまさぐる手は、ザラザラとして、麻縄のようだ。
船長の吐く生温かい息が首筋にかかる。
私が知っている掌は、もっと熱い。
唇は、もっと温かい。
だから、どうだと言うのだ・・・
笑っている自分に気づく。
たしぎが抵抗する素振りも見せないのに、
安心したのだろう。
たしぎの腰を抱いて、引き寄せる。
船長が、視線を外した瞬間だった。
たしぎが少しふらついたように見えた。
身体を折り曲げると、縛られた両手が靴をかすった。
首をかしげるように、身体を捻ったたしぎの手には、
靴に仕掛けてあった小型のナイフが握られていた。
両手を縛っていた縄は、既に外れている。
ナイフの切っ先を男のこめかみピタリを突き立てる。
「動くと、殺します。」
素早く背後にまわると、右手を捻り上げる。
「うわぁ、何しやがる・・・」
悔しそうに、たしぎを睨みながらも、動けずにいた。
一瞬の出来事で、手も出せずにいた部下達も、
女に刃物をあてがわれた船長の姿をみると、息を呑んだ。
慌てて、刀を抜こうとする者、銃を構えようとする者、
ざわつく船員たちを、一喝する。
「動くな!船長が死ぬぞ。」
ピタリと凍りつく海賊達。
背後を取られぬように、船室の壁に背をつけて立つ。
荒海を越えてきた海賊達だ、簡単にはいきそうもない。
武器を離す様子もなく、じりっじりっと、たしぎの隙を狙うように
間合いを詰めてくる。
やはり、戦わないと終わらないようですね。
たしぎは、使えそうな刀を、1本、2本と、目星をつける。
緊迫した空気が流れる。
その張り詰めた糸を断ち切るかのように、
どんっと音とともに、甲板に飛び降りた者がいた。
そこに居た全員が、目を向ける。
少し前屈みになった身体を起こした男は、
麦わらの一味、ロロノア・ゾロだった。
海賊達は再び、息を呑む。何故、此処に居るのだ。
あの麦わらの剣士が。
「あんた、麦わらのロロノア・ゾロじゃねえか?
よく、知ってんぜ。丁度いい所に来てくれた。
同じ海賊のよしみだ、助けてくんねぇか。」
船長が、ここぞとばかりに、助けを求める。
しかし、ゾロの開かれた目は、真っ直ぐに船長の背後にいる
たしぎを見つめていた。
新世界の一つの島。
麦わらの一味は、船を停泊させる場所を探していた。
見張り部屋にいたゾロは、通り過ぎる海賊船を眺めていた。
その一隻に、甲板の上、一人で海賊たちの中にいる女を認める。
見まがう筈のない、たしぎだった。
一人なのか?
海軍はどうした。
また、突っ走って、身動き取れなくなってんじゃねぇのか。
一瞬で、様々な想いが脳裏をよぎった。
気が付けば、サニー号から、次々と船とロープを伝い、
この船へと降り立った。
「ほら、この女、誘いやがって、
気がついたら、このざまだ。」
笑い話にしようと、卑屈に笑いながら、身体をよじる。
後ろに立つたしぎの姿がゾロの視界に入ったとたん、
その場の空気が一瞬で凍りついた。
なんて、顔するの。
ゾロの瞳が、たしぎの胸に突き刺さる。
無意識だった。
はだけた胸元を覆うように、左手がピクリと動いた。
船長は、その隙を見逃さなかった。
素早い動きで反転し、思い切りたしぎを蹴り飛ばす。
ぐっ!
吹っ飛ばされ、壁に思い切り背中を打ち付ける。
それと、ほぼ同時だった。
どんっと音がしたように、空気の圧力を身体に感じた。
げほっ、げほっ!
咳込みながら、顔を上げると、
船長を始め、海賊達が皆、白目を剥いて倒れている。
覇気。
たしぎの脳裏にその言葉が浮かんだ。
動こうとして、息が出来ないくらいの胸の痛みに、
両手を床に着く。
アバラがいったかもしれない。
げほっ・・・
肩で息をする。
「一時間は動かねぇ。」
声のした方へ、無理やり顔を上げる。
なぜ助けた?
なぜ、そんな顔をする。
動けないまま、言葉も発せられず、睨みつける。
そんな顔をする必要などない。
言葉を交わすでもなく、睨み合う。
先に視線を外したのは、たしぎだった。
見下ろすソロの瞳が、ふっと揺らぐ。
陸のほうから、どやどやと走る足音が聞こえてくる。
やっと応援が来たようだ。
たしぎの肩から、力が抜ける。
立ち上がろうとして、ふらついて膝を着く。
思わず、ゾロに背を向ける。
これ以上、そんな目で見るな。
背中で、シュルシュルと絹ずれの音と
鞘がぶつかるが聞こえた。
「たしぎ少尉〜〜!」
声が近くで聞こえた。
もう、すぐそこまで海兵たちが来ている。
急にふわっと背中が暖かくなった。
ぱさっと視界に入る、上着の袖。
ゾロの着ていた上着だ。
たしぎの瞳が大きく、見開かれる。
ガッガッと遠ざかる靴音。
振り向けなかった。
とてつもなく長い時間に思えた。
「たしぎ少尉!ご無事で。」
部下の声に、はっと我に帰る。
たしぎは、無言で頷くと、
手を貸そうとする部下を制して、立ち上がる。
「見事です。女性も保護いたしました。」
そう言って、時雨を差し出す。
「ありがとう。後を頼む。」
時雨を受け取ると、海賊達の捕縛を部下に任せて
海賊船を後にした。
ゆっくりと海軍の船に向かって歩く。
夢だったのだろうか。
肩に掛かった上着をギュッと掴む。
狂おしい程のロロノアの香りがする。
ぎゅっと歯を食いしばる。
何を今更・・・
この新世界で知った海賊達に震える住人達。
グランドラインの比ではなかった。
だから、私は、強くなった。
死にものぐるいで。
海賊は所詮、海賊でしかないんだと
改めて、この身に刻み込んだ。
何を今更・・・
・・・優しくしないで下さい。
******
「何処行ってたのよ!ゾロ!」
船に戻ったゾロに、ナミがいきなり、怒鳴りつける。
「まったく、海軍がうじゃうじゃいて、船停める場所見つけるの
大変だったんだから、見張りがいなくなって、ど〜〜〜すんのっ!!!」
サニー号を見つけられず、歩いていたところを、
チョッパーが見つけてくれた。
「悪ぃ。」
代わりに、船で留守番しているからと告げ、
そのまま見張り兼トレーニング部屋に入った。
どかっと腰を降ろす。
ほんの数時間前の出来事が、信じられなかった。
あそこに居たのは、確かにたしぎだった。
強くなっていた。
甘さが消えていた。
でも、何だ、あの折れそうな危うさは・・・
頭を左右に振って、立ち上がる。
今更・・・
ガシャン、ガシャンとバーベルの音だけが
部屋に響く。
新世界にも月は出る。
その月の光さえも、今夜は重く、
押しつぶされそうだった。
******
暗く重い夜の闇の中、たしぎは、壁に寄りかかるように
目を瞑っていた。
ベッドの上に横にならずに、壁にもたれて眠る癖がついてしまった。
安らぎは何処にもない、この新世界で学んだことだ。
ただ、今日は、自分の居場所さえわからなくなるくらい
懐かしい香りに包まれていた。
ほんの2年、それとも遠い昔なのか、
朧気な記憶が、ロロノアの香りによって、鮮明に映し出される。
古傷が痛むように、胸が熱くなった。
いつの間にか、まどろんだようだ。
夢を見ていた。
幸せな夢。たしぎは夢の中で笑っていた。
どんな夢だったのか、思い出せないけれど、確かに幸せだった。
ゆっくりと、ベッドから降りると
羽織っていた上着を肩から外す。
胸で、今一度抱きしめると、大きく息を吸込んだ。
肋骨の痛みに顔をしかめると、顔を上げた。
もう、夜が明ける。
まだ、あなたとは向き合えません。
弱い自分だから。
たしぎは、少しの間、目を瞑ると、迷いを振り切るように動き出した。
********
サウザンドサニー号は、留守番のゾロを残して、
静かに停泊していた。
「お〜〜い、誰かいるかぁ?」
陸から声を掛けられ、ゾロはむくっと起き上がる。
下を覗くと、少年が包を持って、手を振っているのが見えた。
「なんか用か?」
「うん。届けものがあるんだ。」
少年は持っていた包を掲げて見せる。
ゾロは、ロープを伝い、とんっと陸に飛び降りる。
「これ、海兵の女の人から、ライオンヘッドの海賊船に乗ってる
緑の髪の男の人に渡してくれって、頼まれたんだ。」
「よく、この場所が分かったな。」
「へへ、おいら漁師だから、この島に泊まっている船のことなら
大抵知ってるんだ。」
得意げに話す。
「へぇ、そうか。」
「それに、お前、麦わら海賊団のロロノア・ゾロだろ。
滅茶苦茶、強いの、俺、知ってるぜ。」
「あぁ、強えぞ。」
ゾロは、ニヤリと笑って見せる。
「ありがとな。ちょっと待ってろ。」
ゾロは船に戻ると、サンジが用意してくれていた昼食を持って戻って来た。
「これ、旨いぞ。礼だ、持ってけ。」
「うわぁ、ありがとう。」
少年は、嬉しそうに走って帰って行った。
ゾロが受け取った包みは、軽く柔らかかった。
開けるまでもなく、昨日たしぎに掛けた上着だと分かった。
中身を取り出し、他に何も入ってないことを確かめる。
何かを期待してたのだろうか。
ふっと笑いながら、上着を羽織る。
途端に、立ち上る香り。
引っ張られるように頭を反らせると
呻いた。
頭をガツンと殴られたように、無理やりに引き出される感情の記憶。
胸に抱いたあの柔らかさ。
濡れた睫毛。
耳元で囁かれる甘い吐息。
何を今更・・・
分かっていた。
決して消えることのなかった炎。
その存在を認めない訳にはいかない。
再び、火が灯る。
マストに寄りかかり、静かに目を瞑る。
笑ってばかりいるものだと思っていた。
オレの勝手な期待にすぎなかったのか・・・
眉間にしわばかり寄る。
何で笑ってねぇんだよ。
ちきしょう・・・
これが、オレの望んだ結果なのか。
息を吸い込む度に、あいつの姿が甦る。
今だけは、この香りの中で、眠らせてくれ。
ゾロの微かな願いは叶うことなく、
胸だけが、苦しく。午後のやわらかな日射しさえも
砂漠の灼熱の太陽のように、身を焦がすようだった。
〈完〉
あまりの自暴自棄っぷりに、書き直しました。(^^ゞ
前身の「くれてやる」は
こちらから。