6 抱擁


荒く苦しげな呼吸を落ち着かせようと
小屋の壁に寄りかかり、ゾロは身を潜めていた。

あいつの声が耳に残る。

「ロロノア・ゾロ。覚悟しなさい。」
いつもは、すぐに時雨を抜いて飛び掛ってくるたしぎが、
警笛を鳴らし、散らばっていた海軍を呼んだ。
「何しやがるっ!」
やめさせようと、近づくと、避けるように一歩下がる。
勝負さえしようとしない。

チッ!舌打ちとともに、ゾロはその場から逃げ出した。



チョッパーが、まだ安静にしてろと言うのを無視して
停泊した島へ降りたのは、夕暮のことだった。
スリラーバーグで、バーソロミューくまから受けたダメージは
思ったよりも深く、ようやく動き回れるようになったのは
ほんの数日前のこと。
いい加減、船でじっとしてるのも嫌になり、酒を二、三本手にいれれば
それで船に戻ろうと思っていた。

あいつが、もうオレを追わないことにしたと、顔を歪めて告げたのは
いつの事だったろうか。
もう、随分時が経ったように感じるのは、生死の境をさまよったからだろうか。
また、手を伸ばせば、簡単にあいつに触れられると思っていた。
それが、もう叶わぬ事だなどと、思いもしなかった・・・

あいつの目、オレを睨みつける瞳は、かつてこの腕にだかれた女のものではなく、
海軍の、職務をまっとうしようとする者の目だった。

急に、たしぎが遠くに感じる。


*****


漁師小屋の片隅で、海軍の追っ手をやり過ごしながら
ゾロは、ボーッとする頭で考えていた。


これで、よかったじゃねぇか。

自分に言い聞かせる。

所詮、交わることのないオレとあいつの道だ。
「オレは、死なねェよ。」
悪いが、あの約束も、守れそうにねぇ。
オレは、命を賭けて仲間を守る覚悟を決めた。


これで、いい・・・


傷口が熱を持つ。
全身が脈打つように、鼓動が耳元で大きく聴こえる。

くっ。

痛みとともに、目を閉じた。




カタッ。

物音で、気づく。

敵か?
眠ってたのか?油断したな。

秋水のつかに手を移動する。

殺気が、感じられねぇ・・・



ぼやけた視界に、見覚えのある人影

た、しぎか?

何も言わずに立たずむ人影が
ゆっくりと、目の前に膝をつく。



夢か?

手を伸ばす。

柔らかさのキオク

夢ならば、言っておこう。

もう、伝えることのない言葉だ。





お前のこと、なんもわかってやれなかったな。

頭を撫でる。

何もしてやれなかった。

それなのに、お前は・・・


もう、止めねぇよ。
お前の道を、進めばいい。

今なら、少しは、わかる気がする。
お前の大事なもの・・・



たしぎの肩に額を預け、もたれ掛かるように抱きしめた。
ゾロの背中に廻された手が、やけに力強く、熱い。

夢ではないと気付くのに、時間がかかった。


「た、しぎ・・・?」

スッと離れるぬくもり。


急にクリアになる外の物音。

「いたか?」
「いや、何処にも。」

「ここは、調べたか?」
「さっき、少尉が・・・」

ガタッと音がして、風が入り込む。

「ここには、誰もいませんでした。他をあたりましょう。」

ゾロの目には、逆光で、影になった後ろ姿が映る。

たしぎは後ろ手に、戸を閉めた。

「了解です。」

遠ざかる複数の足音。
再び、静けさが周りを包んだ。


目をつぶったままのゾロは、笑っていた。
あいつが、居たんだ。
この手の届く所に。

夢じゃなかった・・・

もう、思い残すことはねぇ・・・




******



私は大馬鹿ものだ。


何も分かってなかったのは私の方だ。


走り出した足を止めて、すぐにでも引き返したかった。


あの手に触れたかった。
もう一度・・・


歯を食いしばらなければ、声をあげて泣いてしまいそうだった。
必死に前だけを見据え、歩く足を止めまいと進む。

振り返るな。
自分で決めた道だろう。

心の中で、言い聞かせた言葉に
思わず、首を振る。

こんなのは、嫌だ・・・

時間が、この結果を納得させてくれるというのか。

今は、まだわからない。

わかりたくない・・・


たしぎには目の前の道すら、はっきり見えなかった。



*******



オレを逃したのか?

あぁ、そうだな・・・

何やってんだ、あいつ・・・

捕まえるじゃなかったのかよ。

まったく、詰めが甘ぇんだよ、お前は・・・



ははと、乾いた笑いと共に、ゾロは立ち上がった。



もう、心をここに残してくなよ。

外に出て、たしぎが立ち去った方向を、じっと見つめる。

あのぬくもりは、オレが持っていくから。

手に残るたしぎの柔らかさを
逃げてしまわぬように、拳を握りしめると、
踵を返して歩きだした。


真っ直ぐに、前だけを見つめて。

身を斬るような冷たい風を孕み、上着の裾が暴れる。
それでも、ゾロの足取りは、揺らぐことなく
ゆっくりと進んでいく。

振り返ることなく。



〈完〉