その日、現れたたしぎの瞳は静かな夜の海のようだった。
さびしげな微笑みを浮かべながら、ゾロの手を取る。
ゾロは何も言わないまま、たしぎの髪に顔を寄せる。
また、考え込んでしまったのか?
いたわるように黒髪に口づける。
何も言わないのは、ロロノアの優しさ。
それでも、何か言葉が欲しい。
沈黙が終わりのない思考を止めることはない。
心、ここにあらずといったたしぎの様子に
ゾロは、少し戸惑う。
「どうした?」
はじかれたように顔をあげると、
覗き込むロロノアと目があう。
なんでもありません。と言おうとして
首を振る。
ここで言わなきゃ。流される。
すっと息を吸い込むと
静かに一言、一言、区切るように話し出す。
「私、もう、あなたを追いません。」
「・・・どういう意味だ?」
口が渇く。
「だから、私、あなたと、こんな風に、
会うのを・・・終わりに・・・したいの・・・」
絞り出すような声で、ゾロの目を見つめたまま
たしぎは言い切った。
下を向いて、ふっと笑ったかと思うと
ゾロが、たしぎの顔の横の壁をドンッ!と叩く。
「ふざけんなよっ!」
怒りを隠そうともしないで、声を荒らげる。
「もう、駄目なんです。これ以上、続けられない・・の・・・」
最後は消え入りそうな声で、たしぎの目には涙が溢れる。
「なにが駄目なんだっ!」
たしぎの答えを待たずに、ゾロが思い切り抱擁する。
壁に押し付けたまま、髪をくしゃくしゃにして、
あらんかぎりの抗議を込めて唇を塞ぐ。
******
何言ってんだ。
ゾロは、唐突に言い出したたしぎの顔を
睨みつけるように見つめる。
いつものように二人で訪れた宿屋。
たしぎは、戸口に突っ立ったまま、動こうとしなかった。
てめぇの事情なんか、知ったこっちゃねぇ。
お前はこうやって、ここに居る。
それだけで、いいじゃねぇか。
こうやって、抱き合えば、全て満たされる・・・
お前は、違うのか?
グルグルと頭の中を、考えが巡る。
「オレは、認めねぇ。」
お前は、オレにとって・・・
言わないで。
たしぎが首を振る。
あなたの腕の中で、言って欲しいと願った言葉。
でも、駄目。
聞いたら、私の決断は、崩れ去ってしまうから。
わかんねぇのかよ!
今にも、その場に崩れそうなたしぎを抱きしめると、
ギュッと目をつぶった。
嫌だ。
お前が、この手からいなくなるなんて、
誰が信じられるか。
*******
はぁっ、はぁっ・・・
ようやく、身体が離れると
二人の吐息だけが部屋に響く。
「これでも、もう、会わねぇって言うのか・・・」
弱々しく、たしぎの腕がゾロの肩に廻る。
「・・・ごめんなさい。」
たしぎの手が、優しく撫でるようにゾロの
首筋、髪、耳、頬と触れていく。
たしぎの唇は、少し冷たく
遠慮がちにゾロの唇をたどっていく。
「オレは、認めねぇ。」
ゾロは、たしぎの手首を掴むとぐっと力を込める。
「認めねぇからなっ!」
手触りを一つ一つ、確かめるようにたしぎの身体に触れていく。
拒まれるのを、許さぬように。
こんなにも身体は感じてるじゃないか。
それでも、離れると言えるのか。
そうやって、オレの名を呼べ。
オレを求めてくれ。
たしぎの泣きそうな顔を見るたびに
焼けた石を飲み込んだかのように、胃の腑のあたりがカッと熱くなる。
*****
なんだよ。
最後まで・・・
抱いたつもりが、たしぎに抱かれるように眠っていた。
ひとつ分かったのは、たしぎの決断は、変わらないということ。
オレに何が出来る。
奪うこともしないで、
ただ、たしぎが追ってくるのを待っていただけだ。
あいつを責める資格は、オレには無い。
たとえようもなく、自分が小さくみえる。
お前の抱えるものが何なのか、オレには解らねぇ。
置いていかれるのが嫌で、
ベッドで横たわるたしぎを残して部屋を出た。
最後まで、自分勝手な野郎だな。
「ロロノア。」
名を呼ぶたしぎの声が耳に残る。
いつまでも聴いていたかった。
夜はまだ明けていない。
何処へ向かえばいいんだ。
ゾロは、あてもなく歩きだした。
*****
目覚めると、ロロノアの姿はもうなかった。
ホッとした気持ちと、どうしようもない喪失感とが
たしぎを襲った。
シーツをたぐり寄せると、ロロノアに強く掴まれた手首に
紅い痕が残っていた。
そっと唇で触れる。
あなたが残した、愛しいしるし。
言いだしたは自分だけれど、
この、捨てられたような寂しさは何だろう。
たしぎは自分の愚かさを笑おうとしたが、
目の前が歪んで、笑っているのか泣いているのか
自分でも解らなかった。
コレデヨカッタ
問いなのか、納得なのか、頭の中を言葉で満たす。
感情が入り込む隙がないように。
宿を出て、見上げた空は雲に覆われ、
行く道を照らすものは何もなかった。
〈完〉
たしぎが別れを切り出したら、
ゾロは、どうするんだろうって・・・
でも、たしぎの言葉と心はウラハラで。