壁際の攻防 4



「は〜〜い、じゃ、10分休憩。」

ドサッ、あちこちで、その場に座り込む音がする。

「もう、無理。」

「ここまでやる?普通」

「まいったなぁ、もう動けないっすよ。」


14日朝から、合宿後半のやま場を向えていた。


手ぬぐいを頭からかぶり、ゾロは下を向いたまま動かない。

相変わらず、勝てねぇ。
でも、少しずつ、わかってきた気がする。


外は、身を斬るような冷たい風が吹いているにもかかわらず、
ゾロの身体からは、湯気が立ち上っていた。


朝には、かじかむほど冷たかった裸足の足も手も、少しも寒さを感じない。


「はい。休憩終わり!ラスト、かかり稽古エンドレス!」

部員達からどよめきと、うめき声が上がる。


「3年は元立ちなぁ。」

先生たちの要請に、3年部員達は「はいっ!」と返事する。

もちろん、かかる方が苦しい。

「うへぇ。」と言いながらも、2年以下の部員達が立ち上がる。


これが終われば、今日の練習は終わりで、
明日は試合形式の練習だから、今が一番しんどいところだ。


気合いの掛け声とともに、床が振動で揺れる。

決して攻撃してこない相手に向かって、技をしかけていく稽古。

とはいえ、隙を見せれば、いなされると同時に
返し技で、吹っ飛ばされることもある。

ふらふら状態の部員達は、体力の限界を越え、
ただただ突っ込んでいく。


誰もが床にへばり、動けなくなった頃、
まだ一人、果敢にも倒れない部員がいた。

立ってる姿は、すでに構えの姿勢も保てていないのに、
どうしても倒れない。

「まだまだぁ!」

ゆらりと立ち上がっては、短い掛け声と共に、
ダンっと跳ね上がる。


相手をしている方も、二人、三人と交代した。


「あいつ、すげけな。まだやるのかよ。」


ダイチが最後の引導を渡すように、
胴をなぎ払うと、ゾロはもんどり打って倒れこんだ。


起き上がる気配はない。

「終了!」

相手だけでも相当きつかっただろうダイチ先輩の声とともに、
部員達はのろのろと整列を始める。


動けないゾロを、起こそうとするのを見ていた先生が止める。

「まぁ、そのままにしとけ。」


「はい。」

「ありがとうございました!」

一斉に終礼をして、やっと今日の稽古が終わった。



誰もその場からしばらく動けない。

「まったく、みんな、生ける屍のようだね。」

ハコの冗談に、たしぎは力なく微笑み返す。


ズルズルと重い身体を引きずるように
皆、後片付けを始める。


ほとんど誰もいなくなった道場に、一人動かないゾロが残された。



「ねぇ、大丈夫かな?」

ゾロの様子を見ながら、ハコの袖を引く。


「あぁ、駄目かもね。後、頼むね、たしぎ。」

そう心配でもなさそうに、ハコはダイチとともに
練習日誌を手に、連れ立って行ってしまった。



誰もいなくなった道場で、たしぎは、救急箱を取って来ると、
そっとゾロに近づいた。


いつの間にか、起き上がって面と籠手を外している。

投げ出した足の裏は、完全に皮がむけて、痛々しい。


下を向いた顔は、どんな表情なのか、たしぎからは見えなかった。

「・・・ったく、お前は、いっつも、格好悪いときに、いるんだよな。」

呻くようにゾロが呟く。


「ご、ごめん。」

「別に、謝る必要なんかねぇよ。オレが情けないだけ。」
はぁと吐いた息は、急に止まる。

「っ痛!!!」

たしぎが、ゾロの足の裏に消毒液を吹きかけたのだ。

「ごめんっ!」

「だから、あやまんなって。」


「・・・・うん。」



「すごかったね、今日の練習。」

「あぁ、あいつら鬼だ。」

「ふふふ、そうだね。」

たしぎが笑う気配に、思わず顔を上げると
目が合った。


「・・・ロロノア、楽しそうだった。」

「オレが?」

「うん。かかっていく時、笑ってたでしょ。」


面を着けてるから、わかる筈ねぇ。

それでも、確かにオレ、笑ってたな。

この野郎と思いながらも、挑めることが嬉しかった。


「別に・・・って、痛!」

たしぎが、足の裏に薬を塗り始めた。
どうしようもなく、しみる。


こいつには、隠し事なんて出来ないな。

「お前、言ってたろ?楽しいって。」

「うん。」


「オレも、今日は楽しかった。」

「そっか。」

たしぎが薬を塗りながら、嬉しそうに笑った。



「あ、今夜は、夕食後にお楽しみがあるからね。」

「あ?」
唐突に話題を変える。

「今日は14日でしょ、だから、楽しみにしててね。」

はい、おしまいと、薬箱のふたをバタンと閉めると
なんだか、赤い顔をして、そそくさと行ってしまった。

なんだ?急に。

ポツンと一人残されたゾロは、軋む身体を無理やりに動かして
道場を後にした。



*****


「うほぉっ!!!しみる〜〜〜〜!!」

夕食前の男風呂では、あちこちから叫び声があがっていた。


防具のないところに当たる竹刀は、容赦なく
身体を打ちつけ、身体に赤や紫の痕を残す。


「で、でも、か、快感かも〜〜〜!」

「あぶねぇ!コイツ!」

笑い声が、風呂場に反響する。


「女子だって、青あざできるよなぁ。かわいそうに。」

誰かが言ったその一言に、皆、想像力を爆発させる。

「あぁ、染みるわぁ。」
「いったぁ〜い!」

急に、女みたいな声をあげる奴もいる。


「オレ、たしぎ先輩に、やさしくされたい!!!」

「ボクは、ハコさんかなぁ。元気出してって、言われたら何でも出来そうな気がする!」
それぞれ勝手なことを言い始める。

「そう言えば、今日バレンタインだよな。」

「うひょ〜!もしかしたら?」


さっきの稽古での、屍のような様子をは打って変わり、
皆テンションが上がり始めた。


面白くなさそうに湯船に身体を沈めるゾロの隣に
ダイチが入ってくる。

「くわぁ〜〜、沁みるなぁ。」

「・・・・」


「ゾロ、復活したか?」

前を向いたまま、ダイチが尋ねる。

「はい、まぁ。」

「俺も、去年は吐いたな。」

「そうなんすか。」


「ま、そう簡単には追いつかせる気はないからな。」

「すぐに追い越しますから。」

「はは、言うなぁ。お前みたいな後輩を見ると
 なんか嬉しくなる。」


「叩き潰してやりたくて?」
サブンと湯面を揺らして、2年のコウシが入ってくる。


「大丈夫っす。オレ、もう負けませんから。」
憮然とした顔で、答えるゾロ。

「ったく、その自信、俺がコテンパンにしてやりたいね。」
コーシは口を曲げて、壁によりかかる。

「な、コーシお前も嬉しいだろ?こんな後輩。」

「ほんっと、かわいくて、グリグリしちゃいたいっす!」

言葉とは逆に、二人の顔は楽しくてしょうがないといった雰囲気だ。


「なに?なに?生意気1年坊主を、可愛がる相談ですかぁ?」

口々に言いながら、3年生たちが湯船に入ってくる。


「なんなんすか!?みんなして!」

ゾロは気色ばんで、左右を見渡す。


「くやしいけどな、あんだけ根性見せられたら、すげぇってこと!」

「なぁ。」
コーシの以外に素直な言葉に、皆頷く。

なんだか、むずがゆい気がして、ゾロは湯船からあがろうと
立ち上がった。

「オレ、もう上がります!」


「女に関しては、負けてねぇぞ!」
「嘘言うな!」
誰かが言った冗談に、風呂場は笑いに包まれた。




逃げるように風呂場の脱衣所から出ると、ドンと誰かにぶつかる。

たしぎだった。


「痛!」

打ち身の身体に痛みが走る。

「ご、ごめんなさいっ!あ、ロロノア!!!」

謝って顔を上げたたしぎの視線が固まる。


上半身裸のまま、半パンツの姿で、首からタオルをかけているゾロは、
腰骨までパンツがずり落ち、割れた腹筋が丸見えだった。


「男子が遅いって、もう、食事の用意が出来たからって言いに来たの。」

そう言って、脱衣所の方へ行きかけたたしぎを
慌てて止める。

「オレが、みんなに言うから、それ以上、行くな。」

「そっ、そうだね。」

なんとなく、ゾロの言う意味がわかった様子で、
たしぎはぎこちなく、食堂へ戻っていった。



ふと、たしぎは自分が思う以上に、モテるんじゃないかと
ゾロは、思い始める。


今日はバレンタイン。
さっき誰かが言ってたな。

あいつも誰かに渡したりするのか?


急に落ち着かない気分になって、脱衣所のドアを開けた。

「5分以内に食堂集合!遅れた者は、食事なしだそうで〜す!」

湯船で慌てふためく先輩たちの様子が、手に取るようにわかった。


ささやかな仕返しに満足しながら、ゾロはゆうゆうと食堂へと向かった。



〈続〉


 H27.2.17