就職が決まったら。
たしぎが自分にそう言い聞かせるようになったのは
ゾロがペローナと一緒に出かけるようになった頃だった。
二人の後姿を幾度か見かけた。
自分にはどうすることも出来なかった。
視線をそらして、今自分がやるべきことに集中した。
無事に就職が決まったら、
ロロノアに会いに行こう。
もう一度、自分の気持ちを伝えることが出来るなら・・・
伝えたからといって、何かが変わる保障などないけれど。
それでも、なにか・・・
たしぎは、自分が息を止めていたことに気づいて、
小さく息を吐き出した。
鞄から、スケジュール帳を取り出して、
明日の予定を確認した。
******
長かった夏休みが終わり、
後期の授業が始まった。
夏休み前には、ほとんど見かけなかった
4年生の姿も見かける。
ようやく本腰を入れて、卒論を手がけることが出来るようになった
就職が決まった人達だ。
「では、失礼します。」
たしぎは、一礼し、クザン教授の部屋のドアを閉じた。
つい先週のことだった。
一本の電話がたしぎの就職が決まったことを告げた。
基本、自分は知りたがりなんだと気づいたのは
今年になってからだ。
どんな事を仕事にしたいのかと
自分に問いかけ、出た答えがそれだった。
本を読むことが好きで、
今まで、印刷物なら、どんなジャンルもかまわず読んできた。
どんな想いが書いてあるのか知りたくて本を読みあさった。
今度は、人に出会って、その人の思いを聞いてみたい。
それを、自分が文章で伝えることができれば
なんて素敵なんだろう。
そんなたしぎの想いを、拾ってくれる会社があった。
就職難といわれるこのご時勢に
自分には、十分すぎるくらいの会社だと思う。
両親は、不規則な生活になりやしないかと心配したが、
最終的には、肩の荷がおりて、ほっとしたようだった。
「大丈夫よ。都内だから、これまで通りちょくちょく帰るから。」
電話口で、そう言って安心させた。
たしぎは、紅く染まり始めた桜の並木道を
ゆっくりと歩いた。
あと、数ヶ月か。
ここで過ごすのも・・・
博士論文、がんばらなくちゃ。
就活の達成感と充実感が背中を押してくれたのかもしれない。
たしぎは、ゾロに会いたいと思った。
いつもの場所にゾロのバイクがとまっていない事を確認すると、
アパートへと向かった。
思いつきで、歩き出したものの、
次第にたしぎの足は遅くなる。
なんて、言えばいいの・・・
今更、どんな顔して会えばいいんだろう。
それでも、引き返すことは出来ず、不安な気持ちを抱えたまま
ゾロのアパートの前に立った。
******
「まったく、だから言ったのに。無理するなって。」
「わりぃな。」
ゾロは、ペローナの肩を借りてアパートの階段を上った。
自主練習中に足を捻り、病院からタクシーでアパートに戻ったのは
昨日の夕方だった。
夜中に熱が出て、今日の昼、ボーっとした頭で寝ていたところに
ペローナが、心配して食料を持って来てくれた。
「ポカリとゼリーだ。あと、レトルトだけどおかゆもあるぞ。」
「悪いな。」
「昨日からそればっかりだな。遠慮すんな。
マネのあたしが居たってのに、怪我したんだし、少しは責任感じてんだぞ。」
「お前のせいじゃねぇよ。オレが、言うこときかねぇで
無理したせいだ。」
「あ、バイク先輩が昨日、乗ってきて下に止めてある。
これ、鍵。」
「助かった。さんきゅ。」
ゾロは、布団から身体を起こすと
鍵を受け取り、差し出されたペットボトルのスポーツドリンクを旨そうに飲み干した。
「ぷはぁ、生き返った。ありがとうな。
もう、熱も下がったみたいだ。」
「ほんとかよ。」
「ほら、汗かいたからTシャツがびっしょりだ。」
湿ったシャツの首を引っ張ると、ゾロの男臭い匂いが部屋に広がった。
「シャワー浴びるか。」
ゾロがTシャツを脱ぐと、立ち上がった。
「あ、あたしも、もう行かないと!」
慌ててペローナも立ち上がると、玄関に向かう。
ゾロは、その背中に声をかける。
「ほんと、悪かったな。」
急に止まったペローナの様子にゾロは気づかなかった。
動こうとしないペローナの背中に声をかけた。
「どうした?」
振り向いたペローナの瞳には涙が浮かんでいた。
「悪いなんて言うな!あたしは謝ってほしくて
こんなことしてんじゃないんだから!」
「わ・・・」
悪いと言おうとして、ゾロは口を閉じた。
ペローナの瞳に、伝えたい想いがあふれる。
「あ、あたしは・・・」
言いかけたペローナを、思わず自分の胸に引き寄せた。
「すまなかった。」
腕の中で、ペローナの身体が強張る。
ゾロの謝罪の言葉の意味に気づく。
「あ、あたしは・・・」
ペローナの指先がゾロの胸に触れる。
「・・・誰かの代わりだって、かまわないよ。」
ゾロの胸を、ペローナの涙がぬらす。
「ごめんな・・・これ以上、ひどい男にさせねぇでくれ。」
ゾロは、ペローナの頭を撫でるのが精一杯だった。
ぐすっ。
ペローナは鼻をすすると、とんっと、ゾロから身体を離した。
「ほら、ボケッとしてたら、また熱があがるぞ。早く風呂入って寝ろ!
マネージャー命令な!」
くしゃくしゃな顔をしながらも、声だけは明るく言うと
ドアを開けた。
「あっ!」
「わっ!」
勢いよく飛び出して、外の人にぶつかりそうになる。
ドアの前にいたのは、たしぎだった。
ペローナは、泣き顔を見られたくなくて、
顔をそむけると、逃げるように走り去った。
ゾロの目の前でドアが閉まっていく。
大きく開かれたたしぎの瞳が、ゾロの胸に突き刺さる。
引きずる足で、ドアを開け階段を降りたときには、
たしぎの姿は、どこにもなかった。
〈完〉