オールブルーを訪れたことで、
たしぎの心は少し軽くなった。
ゾロの部屋で、向かい合い座る。
何か言いたそうなゾロを優しく抱きしめた。
ゾロは驚いて、少し拗ねたような目でたしぎをじっと見つめると、
黙って身をゆだねてきた。
私の気持ちは、知ってる筈なのに、
どうしてそんな顔をするの?
信じて・・・
触れ合う肌と肌がゾロの不安な心を溶かしてくれる。
このまま、時が止まればいい・・・
たしぎの柔らかい腕に抱かれ、ゾロは眠りに落ちた。
それでも、一度めばえた疑念は
消え去ることはなく、しみのようにゾロの心に暗い影を落とす。
自分でも気づかないうちに、少しずつ重く、心の底に溜まっていった。
それは、6月の梅雨に入った頃のことだった。
たしぎは、スモーカーが大学に来ることをゾロに
言い出せずにいた。
もちろん、クザン教授の元で、
ヒナもマリージョア大学の他の教授達も
訪れる公式な会合で、何も隠すような事ではなかった。
ただ、またゾロが不機嫌になるのを
見たくなかっただけかもしれない。
雨が降りだした構内で
たしぎは研究棟の入り口に立っていた。
会合も無事終わり、一度アパートに戻ってから、
夜からの懇親会の準備をする予定だ。
朝から緊張して、少し疲れていた。
のしかかるような雲を見上げ、たしぎは、ふうっと大きくタメ息をついた。
目の前に、見覚えのある車がスーっと止まると、
運転席の窓が降り、スモーカーの顔が見えた。
会合が無事終わったせいか、さっきまでの厳しい顔が
嘘みたいに和やかだった。
「乗ってくか?」
「スモーカーさん!」
「あたしもいるから大丈夫よ!」
後部座席のヒナの笑う声がした。
「どういう意味だよ!」
しょうがねえなと笑うスモーカーさんは幸せそうだった。
あぁ、そういうことか。
たしぎは、素直に二人の関係を嬉しく思った。
「ありがとうございます。」
たしぎは、助手席のドアを開けると
スモーカーの車に乗り込んだ。
少し雨足が強くなった構内を
飛沫を上げて、スモーカーの車は走り去った。
ゾロは、自分が今目の前で見た光景が
信じられずにいた。
何が起こったんだ?
なんで、
アイツの車に・・・
湧き上がる問いに答えられる術はなく、
戸惑いと困惑だけが、ゾロの頭を満たしていく。
闇にのみ込まれたように、疑惑の炎が心を黒く染めていった。
何なんだよ!
何で、昔の男の車に乗るんだ!?
どういうことだよ!
アイツとはもう関係ないんじゃねえのかよ!
もう、なんとも思ってないって言っただろ!
責める言葉が溢れ出す。
繋がらない携帯が、一層ゾロの心を乱した。
一人の夜が、長く重くのしかかる。
懇親会の真っ最中、忙しく動き回っていたたしぎは、
ゾロの着信に返事を出来ずにいた。
ロロノアは、わかってくれる。
たしぎは、心に浮かんだ一抹の不安をやり過ごした。
ほんの些細なズレが、こんなにもあっけなく、
二人の心を分かつことになろうとは。
翌日、出かける約束の待ち合わせ場所にゾロは現れなかった。
繋がらない携帯。
たしぎは、不安な心を抱えたままゾロのアパートを訪れた。
******
あれは、話し合いなんかじゃなかった。
オレはあいつをただなじっただけで、
あいつの言葉に耳を傾けようとしなかった。
何を言ったのか覚えていない。
止められない怒りをぶつけることで、自分の心を救いたかった。
悲しそうに見つめる瞳だけが
目に焼きついている。
「・・・どうしたらいいの?」
苦しげなたしぎの声に胸が詰まる。
その時になって、どんなにたしぎを傷つけてしまったのか
やっとわかった。
手を伸ばそうとして、思わず身体が固まった。
裏切りを許せない自分がいた。
触れたいのに・・・
怒りが邪魔をする。
たしぎの瞳が、自分を責めているように見える。
どうしてわかってくれないの?!!
首を振る。
違う。
オレは・・・
何の言葉も、浮かばなかった。
ゾロに出来ることは、だた、
苦しい時間を、終わらせることだけだった。
「・・・もう、終わりにしようや。」
返事の代わりに、たしぎは黙って頷いた。
ドアが閉まり、たしぎの姿が見えなくなると、
世界は静寂に包まれた。
もう傷つけなくてもいい。
もう苦しまなくてもいい。
忘れてしまいたい。
すべて・・・
******
あの日から、ゾロの時間は止まっているようだった。
何をやっても、現実味が感じられない。
薄いベールが自分を覆い、世界と分断されているような感じだった。
照りつける陽射しに、睨みつけるように空を仰ぐと
再びゾロは走り出した。
引退した部活に顔を出して、限界まで走ると
いくらか気分がマシになった。
訳のわからない想いを振り払うように走り続ける。
何かから逃れるように。
ゾロは、未だに自分の心に向き合えずにいた。
〈完〉