カキーン!カキーン!
金属バットの甲高い打撃音が、
夏合宿直前のグラウンドに響く。
今年は、空梅雨のため
まるで、夏が始まったような暑さが
連日続いていた。
雨で外での練習が出来なくなるのは嫌だが、
こう暑い日が続くと、体調管理が難しくなるな。
シートバッッティングの順番を素振りをして待っていた御幸は、
部員達の動きを見ながら考えていた。
プレハブ小屋から、打ち合わせを終えた片岡監督と
落合コーチが出てくるのが見えた。
遅れて、太田部長と高島も現れる。
太田部長と少し話すと、高島は
校舎の方へと戻って行く。
礼ちゃん、最近、グラウンドに来てないな。
御幸は、去っていく高島の姿を、視界の端で追いながら
思っていた。
・・・ぼやいている場合じゃないかぁ。
さてと、御幸が気合を入れなおそうとした瞬間、
2年のマネージャー春乃の声が響いてきた。
「キャー、高島先生!大丈夫ですかっ!?」
え!?
と思った瞬間、御幸の身体は反射的に
声の方へと駆け出していた。
*****
御幸がグラウンド裏の校舎へと続く道に
たどり着いた時には、監督、太田部長、そして
近くにいたマネージャー3人が、集まっていた。
しゃがんだ片岡監督の側から、高島の脚が見えた。
ヒールが脱げて、ストッキングの指先が投げ出されている。
ゾクッ。
たとえようのない、震えが御幸を襲った。
近づくことも、声をかけることも出来ずに
その場に立ちすくむ。
監督達の話し声が、何を言っているのか、御幸の耳に届かない。
自分の心臓の鼓動だけが頭にガンガンと鳴り響いていた。
「太田部長、車をお願いします。」
「は、はいっ!」
部長が大急ぎで駆け出していった。
ゆっくりと監督が立ち上がると、一緒に高島の脚も揺れて
地面から離れた。
「マネージャー、上着と靴を持ってきてくれ。」
「はいっ!」
監督に手渡されたスーツの上着を抱えながら
春乃が、道に落ちた高島のヒールを拾い上げる。
ようやく高島が監督に抱え上げられたことを理解した。
「・・・れ・・・」
カラカラに乾いた口からは、言葉は出てこない。
春乃が小走りで監督の後に着いて行く。
「貧血だろう。」
落合コーチの声に、ようやく身体が動いた。
振り向けば、コーチはすでにグランドに向かって歩き出していた。
「監督が、これから病院に連れて行くから、
キャプテン、後の練習はオレとで見るぞ。」
「は、はい。」
御幸は自分を落ち着かせるように、深く息をすう。
小さくなっていく監督の後姿を視界の端から振り払うように
グランドに向き直った。
******
「ありがとうございましたっ!」
「したっ!!」
練習終わりの挨拶が、薄暗くなったグランドに響く。
道具の片付けをしていると、片岡監督と太田部長が帰ってきた。
マネージャーの春乃もいる。
皆、自然と監督の周りに集まる。
「監督、高島先生は?」
御幸が口を開く前に、沢村がストレートな質問を投げかける。
「疲労と貧血だそうだ。ニ、三日学校を休むと思うが
大丈夫だ。」
ほっとした空気が流れる。
「よかったぁ。」
一年のマネージャー達の声が聞こえた。
「皆、体調管理に十分気をつけること。以上、解散。」
監督の言葉に、もう一度挨拶の声が響いた。
「ほんと、高島先生が居なかったら、困っちゃうもんね。」
「備品の手配はもちろん、スケジュール管理は、全部まかせっきりだもんね。」
「太田部長は、頼りないし。」
「ほんとに!」
聞くともなしに、マネージャーの話が耳に入ってくる。
「相手校の情報収集だって、相談にのってくれるしね。」
声のした方へ御幸が振り返ると3年の渡辺が立っていた。
渡辺こと、ナベは、自らマネージャー役をしてくれて、
いつも的確な情報を教えてくれるありがたい存在だ。
「あぁ、ナベ・・・礼ちゃん、そんなに忙しかったのか?」
「高島先生、出来ることは全部してあげたいって・・・。」
「・・・そんなことナベに言ったんだ。」
「みんなに、っていう意味でしょ。」
渡辺は、そこ気にするとこじゃないでしょ!と
軽口をたたきたい気持ちもあったが、
今日の御幸の様子を思い出して、自重した。
「ボク達も頑張るから、高島先生には、
今のうち、ゆっくり休んでもらわないとね。」
「ナベ達は、十分やってくれてるよ。助かってる。」
御幸は、キャプテンらしく渡辺を気遣う。
それでも、心ここにあらずといった様子で、
宿舎に戻っていった。
あんまり思いつめないといいけどな。
渡辺は、練習に全く集中できていなかった御幸を思いやった。
*****
夕食後、各自の自由時間に
部員達は当然のように自主練を始める。
「オレ、プリンな。」
「は?」
ポケットに手を突っ込んだまま、倉持が御幸に告げる。
「コンビニ、行くんだろ?」
ニヤリと笑う倉持に、御幸はムスッとして横を向く。
「誰が行くって言ったんだよ。」
「ほら、早くしないとめんどくさい奴に捕まるぞ。」
各部屋から、二年生達が姿を見せ始める。
「ほんっと、熱心な奴らだぜ。」
倉持がまんざらでもなさそうに、つぶやく。
あぁ、ほんとにな。
御幸も、胸の中で頷いた。
「ほら、お前がブレてると、あいつら迷うぞ。」
倉持の言葉が、痛いところをつく。
「わかってるよ。」
御幸は反論せずに立ち上がると、すでに持っていた自転車の鍵を
ポケットから取り出した。
「門限までには帰れよ!」
背中に届く倉持の声に、振り向かずに手を挙げる。
自転車に乗るのも久しぶりだな。
グランドと学校の往復ばかりだし。
そんなことを思いながら、
すっかり暗くなった夜の街へと、ペダルに力を込めて走り出した。
〈続〉