野分


2 

たしぎが告げた日は、学校が始まって間もない土曜日だった。
バイクで送って行くと言ったが、たしぎの希望で電車で行くことになった。

よく晴れた気持ちの良い日だった。
駅前に現れたたしぎは、ゾロが初めて見るスカート姿だった。
柔らかそうな生地がフワフワと、歩く度に揺れ、白いカットソーに
羽織ったカーディガン姿は、今まで見たどんな格好よりも、大人びて見えた。
思わず視線を落とした先に、低いけどヒールの靴が飛び込んできた。
「やっぱ、変ですか?」
たしぎが、裾を気にして、上目づかいにゾロに尋ねる。
「いや、別に。」
上手い言葉も言えずに、横を向く。

「じゃ、行きましょうか。」
「あ、あぁ。」
たしぎの後ろをついて行く。
「ごめんなさい。今日は、付き合わせちゃって。」
喋るたしぎの唇がほんのり紅い。化粧してるのか。

なんだかろくに話せないまま、電車は、マリージョア大学の駅に着いた。
歩いても、それほど時間がかからない距離だ。

銀杏並木が色づくには、まだ少し早いようだが、
葉を揺らす風が心地よく、二人無言で歩いた。
少し前を歩くたしぎは、側にいるのに、遠く感じた。
オレの知らないたしぎだ。

「スモーカーさん、この奥の、確か、E棟に居るって。
 ロロノアも、久しぶりですよね。」

電話で、話したりしてるんだ。
「いや、オレはいいよ。二人で、積もる話しもあるだろ。
 後で、挨拶しに顔出すから。」

建物の前で、一時間後に待ち合わせして、たしぎと別れた。



ゾロは、大学構内をぶらぶらと散策していた。
グランドが見えたので、近づいてみる。
さすが、都内にこれだけ大きい敷地を持つ大学だ。
グランドの設備も充実している。
トラックも、走りやすそうだ。暫く、陸上部の練習を眺めていた。
構内を、ジョギングしている人もいる。
大人っぽい学生には見えない派手なジョギングウェアの女の人が
ゾロの脇を通っていった。



一時間を少し過ぎた頃を見計らって、
待ち合わせの場所に、ゆっくりと歩いていった。
建物の前に立ち、手持ち無沙汰で、佇んでいると、
背後から、足音が聞こえた。
ゾロのすぐ後ろで、止まると、
「あら、さっきの。」という声で、振り向いた。
耳からイヤホンを外しながら、立っていたのは、さっきグラウンドの脇で
ジョギングをしていた女の人だった。
近くで見ると、美しさは迫力があり、厚ぼったい唇が、印象的だ。
「今日は、お客さんが多いのね。」

ゾロの後ろに視線を投げかけたので、建物の方に向き直ると、
丁度、たしぎとスモーカーが一緒に出てくるところだった。
スモーカーはゾロの大学に居た頃と違って、Yシャツに、緩めてはいるが
細いネクタイを引っ掛けていた。相変わらず、煙草は咥えていた。
スモーカーがこっちを見る。隣の女の人とは、どうやら知り合いのようだ。

不意に、その人の顔が近づいたかと思ったら、耳元でこう囁いた。
「あの人、私に惚れてるから、大丈夫よ。」
ゾロが、その意図が理解できずに、呆気にとられていると、
鮮やかな笑みを見せ、建物のへ入っていく。
たしぎは、この人を知っているのだろうか。
顔を合わせ、「こ、こんにちは。」とお辞儀していた。

あまりに意外な事で、ゾロは自分を見つめるスモーカーの視線には気づかなかった。

「よう。」スモーカーが声を掛ける。
「あ、お久しぶりです。元気そうで。」
慌てて答える。
「まぁな。また、飯でも行こうや。」
「はい。」

「じゃ、スモーカーさん、今日はありがとうございました。」
たしぎは、スモーカーに向かって頭を下げる。
スモーカーは、顔をあげたたしぎの頭に手をやる。
「なんかあったら、いつでも、相談しろよ。」
たしぎは、びっくりしたような顔をしたが、すぐに恥ずかしそうに微笑んだ。
「はい。」
たしぎの頭をクシャっと撫でる。
ちょっとうつ向いたたしぎの幸せそうな顔が、ゾロの胸に突き刺さった。

まともにスモーカーの顔を見ることができなかった。
ろくな挨拶も出来ないまま、その場を後にした。


去っていくたしぎとゾロの後ろ姿を見ながら、スモーカーは煙を吐き出す。
大人げねぇな。
空に消えていく紫煙を、目で追いながら、頭をガリガリと掻いた。


********


「ちょっと〜〜〜!!!何この煙!
 少しは、換気しなさいよ!スモーカー君!」

ドアを開け、文句を言いながら入ってくるなり
窓を次々と開け始めたのは、ヒナだった。
ジョギングウェアから着替え、いつものパンツとシャツ姿だ。

「あぁ?」
聞こえてるんだか、スモーカーの反応は鈍い。
椅子に深く沈みこんで、ひたすら煙草をふかしている。
目の前の机の上にある灰皿は、吸殻で溢れている。

「一体どうしたっていうの。
 昔の彼女が、男を連れてきたから、急に惜しくなったの?」

「んな訳ねぇよ。馬鹿野郎。」
「穏やかじゃ、ないわね。」

自己嫌悪。
「まったく、お前があの野郎に耳打ちなんかするからだろうが。」
余計な事まで、しちまっただろ。

「あら、スモーカー君は、彼女に手なんか出さないから安心してって、
 言っただけよ。」

ギロリとヒナを睨みつけながら、
「当たり前だろ。」低く唸る。

「面白くねぇ。」

くっくっと、ヒナが笑う。


「あの男の子、彼女の事が心配でしょうがないって顔してたから、
 ついね。」

窓の外を睨んだまま、スモーカーは、ふうっと大きく煙を吐き出した。
たしぎに別れを告げられた時を思い出す。

つまんねぇ、男の嫉妬。
置いていく女を知ってる奴に取られるのが面白くなかっただけだ。
「あいつなら構わねぇ、って言っちまった。」
別れを告げられ、むしろホッとしてた。
「傷つきもしねぇ、ひどい男だろ。」

「あら、傷ついたくせに、
 その嘘が、強がりなのよ、そもそも。」
自分じゃ気づいてないでしょうけど。

「私、これでも嫉妬してるのよ。
 彼女には、ずいぶん優しいのね。ヒナ、面白くないわ。」

「あん?嫉妬だぁ?
 これっぽちも思っちゃねぇくせに。」
ニヤリと笑う顔は、いつものスモーカーだった。

ヒナが、すっと近づいて机に腰掛ける。
スモーカーの引っかかっているだけのネクタイを
くいっと引っ張ると、顔を近づけ、不敵に笑う。

「聞捨てならないわね。ふふ。
 ちょっと、付き合いなさいよ。」

研究室に差し込んだ西日が、二人を照らす。
「どこにだよ。」
スモーカーはくわえていた煙草をそっと、灰皿へ置いた。



〈続〉



H23.10.1