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「たしぎ!何ぼうっとしてんの、行くよ。」
声を掛けられて、ハッとする。
気が付けば、講義は終わり、教室には人が殆ど
居なくなっていた。
「あぁ、ゴメン。」
慌てて、教科書を片付けだす。
「いいわね、たしぎは、院に進むんでしょ。
就職の心配しなくていいもんね。」
同じクラスの友人は、採用試験の結果待ちだ。
まだ、就職先の決まらない者も多くいるという。
とはいっても、たしぎには、やはりピンと来なかった。
「皆んな、将来の事、ちゃんと考えてるんですね。」
「ていうか、あんたは、しっかり生きて行くことが目標よ!」
友人に怒られつつ、席を立った。
その通りだと、たしぎは笑うしかなかった。
ここ数日、たしぎの頭を悩ませていたのは、
他でもない、ゾロの誕生日プレゼントのことだった。
先月、サンジからゾロの誕生日を教えてもらった。
自分の我がままで、ロロノアを振り回し、怒らせてしまった。
何度もキャンパスで、ゾロの姿を探したが、いつも空振りで、
誕生日を機に、どうしても謝りたかった。
学校帰りに、駅前のファッションビルに行ったり、
休みに都心のデパートに出かけたりもしたが、
結局、決められず帰ってくる日が、何日も続いた。
ロロノアは、どんなのが好きなんだろう。
よく着てる服は、どんなんだっけ。
バッグは?靴は?
好きな食べ物は?
気が付けば、一日中ロロノアのことを考えていた。
もっと、ロロノアの事を知りたい。
バイクに乗った時の、背中の温かさや、
海で掴まれた腕の感触。
花火を見つめる横顔、
美味しそうに料理を頬張ったり、
照れくさそうに、お土産を渡してくれた、
そんな表情は、よく覚えているのに。
一週間かかって、やっとプレゼントを選んだ。
ロロノアに似合いそうな、モスグリーンのマフラー。
葡萄色のラインが入っている。
秋風も冷たくなってきたし、丁度いいかも。
気に入ってもらえるといいな。
プレゼントが決まると
今度はどうやって渡そうか思い悩んだ。
携帯にかける勇気もない。
陸上部の練習が始まる時間や、終わる頃を
見計らって、グラウンドをうろうろしたが、
結局、会えずじまいだった。
ただ、グラウンドの近くに停めてあるゾロのバイクの場所だけは、
よく分かるようになった。
いつも、タンデムシートの横に付いているヘルメットは
他の誰かの為なんだろうか。
少し、胸が痛んだ。
********
ゾロに会えないまま、とうとう誕生日当日を迎えてしまった。
今は、午後6時。たしぎはゼミの教室に座っていた。
今日に限って、クザン教授のゼミは忙しかった。
何も今日じゃなくても、と思いながらも、
卒論の途中経過の報告と、指導を受けていた。
後輩も集まり、来年時の参考にするらしく、
大々的に意見交換が行われていた。
「おっと、もうこんな時間か。帰らないといけないなぁ。」
クザン教授が、急に帰りの支度を始める。
「あ〜、最後の者、鍵をかけて帰るように、来週月曜日、返してくれればいいから。」
と言うと、生徒を残し、そそくさと居なくなってしまった。
「お疲れさま。」
「じゃあね。」
生徒達が帰り始める。
たしぎは、最後に出るつもりで、トイレに向かった。
普段過ごしている研究棟も、
夜、誰も居ないとなれば、少し怖いのだ。
まだ、人が居るうちに行っとこ。
ゼミの教室の前まで来ると、中から話し声が聞こえた。
よかった、まだ人が居たんだ。
ホッとしてドアに手をかけようとして手が止まる。
「だから、たしぎ先輩が来たら・・・」
自分の名が聞こえてきた。
「バレやしないって。」
「鍵かけてしまえば、大丈夫だろ。」
「こっちは二人だぜ。」
「あの、緑の髪のヤローも最近、見かけないしな。」
はっきりとは聞こえなかったが、たしぎは身の危険を感じた。
そっと、音を立てないようにその場を離れると、
階段を駆け下りた。
建物の外に出ると、明かりは、たしぎのゼミの教室だけしか
灯っていない。
周りの建物も暗く、ほとんど人気がないようだ。
自分の心臓の音が、やけに大きく感じた。
どうしよう。
たしぎは、逃げるように、そこから遠ざかった。
*****
ゾロが睨みつけて追い払ってから、
二人の後輩は、特にたしぎに言い寄ることもなかった。
普通の先輩後輩の関係だと思っていた。
ゼミのみんなで食事した事もあったし、
あれから誘ったりもして来なかったから、
もう、平気だと思っていた。
たしかに女子が少ない専攻ではある。
人数も男子の方が圧倒的に多く、
入学した時から、何かと珍しがられた事は確かだ。
スモーカーの影が浮かぶ。
私、自分では、しっかりしてたと思ってたのに。
結局は、守られていたんだろうか・・・
そんな思いが頭をよぎる。
惨めさと、情けなさが、じわじわとたしぎを覆う。
怖くて、悔しくて・・・
心をかき乱されながら、たしぎは闇雲に歩いていた。
「おいっ!」
呼び止められたことに、暫く気づかなかった。
「おいっ!たしぎ!」
自分の名前を呼ばれて、初めて立ち止まる。
声のした方を向くと、ゾロが訝しげに、見つめていた。
「ロ、ロロノア・・・」
あ、やっと会えた。
「大丈夫か?顔が真っ青だぞ。
なんか、あったのか?」
「あ・・・」
会いたかった・・・
思いもかけない優しさに、気が緩んでしまった。
今まで、押さえていた感情が一気に溢れでる。
「あの、私、ロロノアに謝りたくって。
ごめんなさい。本当に、ごめんなさい・・・」
「今日、誕生日だって聞いて・・・」
「でも、あの、荷物全部、置いてきちゃったんです。」
・・・プレゼントもあったのに。」
半分泣きそうな顔で、一気に吐き出すように話し始める。
ゾロは、驚きながらも、たしぎが落ち着くのを黙って待っていた。
「じゃあ、ゼミの教室に取りに行けばいいんだろ。
一緒に行ってやるから、大丈夫だ。」
「・・・・ありがとう。」
やっと会えたのに、いきなりこんなに取り乱して
呆れられたに違いない。
我に帰ると、たまらなく恥ずかしくなった。
それでも、ゾロは平然と、歩きだす。
たしぎは、後を追うようについて行った。
研究棟は、もう明かりも消えて、誰も居ないようだった。
ガチャガチャとゼミの教室のドアを動かしてみても、
鍵が掛かっていて開かない。
「誰も、残ってないようだな。
お前が来ないから、諦めて帰ったんだろうな。」
「わ、わたしの勘違いだったのかも・・・」
「よかったな、何ともなくて。」
何も言えなかった。
「で?どうすんだ?」
「?」
「お前、家、帰れんのかよ。」
「・・・あ、あ〜〜〜〜っ!!!!」
どうしようっ!
家の鍵も、財布も、携帯も、全部、研究室のバッグの中だ!
状況を悟ったたしぎを、呆れたように見つめる。
「ぷっ!」
ゾロは、思わず吹き出した。
「どうしよう、ロロノア。私、家、帰れません。」
途方に暮れるたしぎをよそに、笑いを堪えている。
今、気づいたのかよ!
「しょうがねぇな。オレんとこ来るか?」
え?
驚いて見返すたしぎの顔がみるみる赤くなる。
それに気づいてか、ゾロもぶっきらぼうに呟く。
「何もしやしねぇよ。」
少しの間、下を向いていたたしぎは顔を上げた。
「ありがとう、ロロノア。お言葉に甘えて、いいですか?」
「行くぞ。」
ゾロが先に歩きだした。
〈続〉