「さぁ、あとは、焼けたらひっくり返して。
焦げないように、よく見ててくださいませ。」
「・・・ふぁああい。」
「なんですか!そんな気のない返事はっ!
いいですか!そもそも、お料理は、家事の基本。
姫様が、将来、お仕えする旦那様に美味しいと
褒められるようなお料理を、作ってさしあげられるようで
なければ、なりませんのですよ!」
大きな調理場で、激を飛ばす侍女の隣に立ち、
たしぎは料理の手ほどきを受けていた。
午前中かかって、林檎のジャムを大鍋で作り、
午後からはパンケーキを焼いていた。
半分、眠たげなまなざしのたしぎは、
目の前のフライパンを握ったままだ。
「・・・・」
「ほらっ!ぼさっとしないっ!火が強すぎます!
煙が出てます、姫様っ!!!」
「あっ!はいっ!」
慌ててひっくり返すも、裏側は、見事に真っ黒なパンケーキが出来あがった。
「これでは、呆れられます。さ、もう一枚。
本日は、ミホーク様をはじめ重臣の皆様に
に召し上がってもらう予定なんですから。」
たしぎは、皿に盛られた数々の失敗作を
ため息とともに眺めると、再び、生地を流しこんだ。
こう、手首の返しが大事なのかしら?
返す刀のように・・・
横から・・・
「ほらっ!動かさないでっ!まだ、焼けておりませぬ!」
いけない。
どうも、料理の勉強など、身に入らない。
たしぎは、小さく肩をすくめた。
*********
「では、本日の会議はこれにて終了いたします。」
お付きの者がそう告げると、ミホークは顔を上げた。
「皆の者、しばし残れ。
たしぎが、お茶を振舞うそうだ。」
大広間で開かれていたのは国の情勢をミホークに報告し、
方針を話し合う会議だった。
ロロノア・ゾロは、先の剣術大会の功績を認められ、
隊長のスモーカーと共に、会議に同席していた。
最も、ずっと壁際に立っているだけであったが、
会議の内容は、一兵隊が知るには重大すぎ、
ミホークの期待の大きさが伺えた。
「失礼いたします。」
しおらしくお辞儀をして、たしぎが広間に入って来た。
後ろから、大きな皿に山盛りのパンケーキとジャムの入った白い陶器の入れ物を
持った侍女達が続いた。
各人の前に皿が置かれ、位の高い者から順に、取り分けていった。
カップには香り高い紅茶が注がれる。
ゾロにも末席に椅子を用意され、目の前に
パンケーキののった大皿が回ってきた。
どう見ても、焼きすぎの端が黒ずんだのと、焼き色が妙に薄い
生焼けのものが大皿に残っていた。
ゾロは、ためらいもせずにそれを自分の皿に取った。
「どうぞお召し上がり下さい。」
たしぎの声に、皆、ナイフとフォークを動かし始める。
「この焼き具合といい、素晴らしい腕前ですな、姫様は。」
「親方どの、これなら立派な奥方になれます。」
「どこへ嫁がれても、立派にやっていけましょう。」
皆、口々に褒めるのを、たしぎはこそばゆい気持ちで聞いていた。
その皿の殆どが、侍女達が作ったものだったからだ。
遠い席で、ゾロが黒こげのパンケーキを取るのが見えた。
あ。
私が焼いたのを・・・
たしぎは、急に緊張して、視界の端で、ゾロが黙々と食べている姿を捉える。
こんなことなら・・・
自分の不真面目さを悔やんでも、もう遅かった。
*********
カチャカチャ。
侍女達が空になった皿を下げ始める。
たしぎも、侍女達と共に退出しようとした時、
ミホークが呼び止めた。
「たしぎ。お前はここに残りなさい。話しがある。」
「はい。お父様。」
急にどうしたのだろうと、不思議に思いながら、
たしぎは父ミホークの側に控える。
「皆の者にも聞いて欲しい。たしぎ、嫁ぎ先が決まった。
ま、一年も先の事だが。」
「え?」
父ミホークの言葉に、たしぎは耳を疑った。
「相手は、隣国ハート王国のトラファルガー・ロー王子だ。
小さい国だが医療技術が発達していて
おまえが結婚すれば、我が国も医療は安泰だ。」
「おめでとうございます。」
重臣達が口々にお祝いの言葉を言う。
「なるほど、いい、嫁ぎ先ですなぁ。」
「ロー王子も、26歳、丁度よいではございませんか。」
「よい縁談を結んだものです。」
「まずは、一年は婚約期間だ。花嫁修業と思って、精進いたせよ。」
父の言葉が、頭に入ってこない。
結婚?婚約?花嫁?
何故?
隣国?
何故?どうして?
結婚という言葉と疑問だけが、グルグル頭を駆け巡る。
「・・・たしぎ?聞いてるのか?」
「はっ、はい。」
「一国の、姫として、しっかり役目を果たすのだぞ。」
こくりと頷くと、重臣達の拍手の中、
どういう顔をしていいか、分からなかった。
「では、今日はこれにて終いだ。」
ミホークと共に広間を出る。
ふと、視線を感じ振り返ると、ゾロと目があった。
弾かれたようにドレスの裾を持って走り出すと、
たしぎは自分の部屋に飛び込んだ。
何も言わずに離れた娘の後ろ姿を
見つめるミホークの目は少しつらそうに見えた。
******
「しばらく、一人にして。」
心配して部屋に来た侍女を下がらせると、
たしぎは、そっと部屋を出た。
まだ、明るい夕暮れだった。
たしぎは誰にも見られないように屋敷の外に出ると、
少しずつ暮れていく空を見上げた。
「私の愛馬は元気にしてるかしら。」
明るく装い、馬小屋の者に尋ねる。
「これは姫様、こんな所に。ええ、元気にしております。
丁度、馬場に出ております。今、連れて来ます。」
急なたしぎの訪問に驚いたものの、すぐにたしぎの元に、馬を連れてきた。
「ありがとう。」
たしぎが、馬を撫で、話しかけている様子を見ると
従者は、気を使い、すこし離れた。
「少し、走ってきます!」
その声に、従者が驚いき駆け寄った時には、
たしぎは馬に乗り、馬場の外へと駆け出していた。
「姫さま、姫さま〜〜〜!!!」
後ろで聞こえる、従者達の声も振り切るように
手綱を引いた。
流れていく雲を追うように、遠くへ遠くへと、馬を走らせた。
従者達の騒ぎにゾロが気づいた。
「どうした?」
声をかけると、皆、青ざめた顔で、答える。
「姫様が・・・一人で、馬に乗って行かれてしまったんです。
お供もつけずに、行き先も・・・」
「どうしよう・・・もし、姫様の身に何かあったら。」
口ぐちに騒ぎたてる者達にゾロは、
「連れ戻してくる。」
と告げ、さっと自分の馬にまたがった。
何考えてんだ!
毒づきながら、馬を走らせる。
最近は、遠乗りなんて出掛けてなかった筈だ。
一体、どこに・・・
大広間を出る時のたしぎの顔が目に焼き付いて離れなかった。
あいつに限って。
湧き上る不安を押し殺し、ただひたすら、
感覚を研ぎ澄まし、
ゾロはどこへ向かえばいいか、想いを巡らせた。
〈完〉