どれくらい走ったのだろう。
馬にたずなを任せ、行き先も決めずに
ただ走らせてきた。
どこか、遠くへ連れていってと。
馬が足を緩めたのは、
たしぎの覚えのある場所だった。
昔、よく遠出した国を見渡せる高台。
馬上から、やっとのことで降りる。
ずっと力を込めて、たずなを握っていたから
身体がこわばっていた。
「ありがとう。」
優しく馬の頬を撫でると、たずなを離して自由にした。
遠くへ行くこともなく、たしぎの見える範囲で
草を食んでまた戻ってくるだろう。
たしぎは、一人たたずむと眼下に広がる景色を見渡した。
領主の屋敷は、後ろを深い森に囲まれた高い丘に建っている。
屋敷の側を流れる川を下った所には街並みが見える。
人々の活気があふれ、賑やかで、楽しい所だ。
街を取り囲むように、畑が広がっている。
所々に農家が連なり、明かりが灯り始めていた。
そして、もっと遠くの河口には、港の灯りが見える。
今はまだ、小さな漁村だが、きっと大きな船が行き来するようになると
お父様が言っていた。
大好きなこの国。
お父様の治める国。
私は、この国の姫として育てられた。
ならば、国のために嫁ぐことは、当たり前のこと。
ぎゅっと力を込めて、自分を抱きしめる。
突然の結婚話に、驚いただけ。
たしぎは、大きく息をつくと、目を閉じた。
大丈夫、私は、立派に役目を果たそう。
そう心に刻んで、目を開けると同時に、馬の蹄の音が聞こえてきた。
「姫!」
その声に、たしぎはハッとして振り返った。
近づくにつれ、ゾロの険しい表情がはっきりと分かる。
たしぎに近づくなり馬から飛び降りて、たしぎの前に立つ。
「無事か?怪我はないか?」
肩をつかまれる。
ゾロは、顔をじっと見つめ、足元や背中を探るように見回すと
ようやく、ホッとした様子で、大きく息をついた。
「ロロノア・・・」
つかまれた手にギュッと力が入るのを感じた。
「まったく。少しは自分の立場を考えろ。」
ゾロの言葉が胸に突き刺さる。
ロロノアの言う通りだ。
「ごめんなさい。心配かけました。」
たしぎは、すまなさそうに俯く。
たしぎの、悲しそうな顔に、ゾロは、言いすぎたと気づく。
「・・・申し訳ありません。言葉が過ぎました。お許し下さい。」
緊張が解けたように、ゾロがその場に膝を着き、頭を垂れた。
その態度も、また、たしぎを寂しくさせる。
「ロロノア、昔みたいに、気にしないで話して・・・」
たしぎがゾロの手を取り、引っ張るように立ち上がらせた。
「・・・・」
ゴオッと強い風がたしぎの身体に吹き付ける。
薄いドレスが身体に張り付くようにはためく。
ゾロは、遮るように風上に立つと
自分のマントを脱いで、たしぎの背中を包み込んだ。
「そんな格好じゃ、風邪をひく。こんなんで悪いけど、少しはマシだ。」
「あ、ありがとう。」
たしぎは、ゾロの上着を飛ばされないように
中から押さえた。
「あったかい・・・」
少しだけ笑が浮かんだ。
「どうして、私が此処にいると?」
「昔、よく来ただろ。」
「覚えてたの?」
「あぁ。」
昔、並んで見下ろした景色を
また、二人並んで見つめる。
何も話さなくてもいい、穏やかな時間が流れる。
「私なら、もう大丈夫。」
たしぎがゆっくりとゾロを見つめる。
その瞳をしっかりと受け止める。
「ちゃんと役目を果たそうと思う・・・」
「・・・・」
「決心しました。」
ゾロは、無言で頷くと
目の前の赤く染まる空に顔を向ける。
「オレは、ずっと姫の側で、
姫を・・・守っていけると思ってた・・・。」
じっと睨むように前を見つめながら、一言一言
噛みしめるように話すゾロの横顔を、
たしぎは、泣きたくなるような想いで見つめていた。
そんなこと言わないで・・・
心が揺らいでしまうから。
「・・・ロロノアが、この国を守ってくれていると思えば、
私は、どこでだって、安心して、生きていけます。」
自分に言い聞かせるように、伝える。
あぁ、この人は、やっぱり姫なんだ。
たしぎの決心が痛いほど、ゾロの胸に沁みる。
オレなんかより、ずっと・・・強い。
「・・・皆が心配してる。もう、戻らないと。」
自分がたまらなく情けなくて、背を向ける。
たしぎを送り出すような言葉を、オレは知らない。
馬を連れてこようと、一歩踏み出そうとしたゾロの
薄いシャツの裾を引いたのは、たしぎだった。
「あっ・・・あのっ、ロ、ロノア。一つだけ、一つだけ
心残りがあるの!」
振り返ったゾロの顔をまともに見れずに、
シャツの裾を握ったまま、たしぎはうつむいた。
「聞いてくれますか?」
〈続〉