何かのきっかけがなければ、
こんなふうにはならなかったでしょう。
「何故斬らない!」
雨がたしぎの声をかき消すように激しく降りだした。
「どうしても、斬らないと言うのなら、
・・・抱いて下さい。」
うなだれて、その場に座り込む。
濡れたまま、ゾロは、黙ってその姿を見下ろした。
*******
ゾロは、風呂に熱いお湯を落としていた。
部屋の入口で、震えながらたたずんでいるたしぎを引っ張ってくると、
服のまま湯船に座らせる。
自分の腕をぎゅっとつかんだ指先は白く、全身が冷えきっていた。
熱いお湯が、たしぎの固まった身体をほぐしていく。
ふっと、力が抜けるのを確かめると、
「よくあったまれよ。」
そう言って、風呂場の戸を閉めた。
あの場に座り込んで、動こうとしないたしぎを
支えるように連れて来たのは、安い連れ込み宿だった。
宿の者と、顔を合わせることなく部屋に入った。
とにかくあのまま放っとく訳にはいかず、連れてきたのはいいが、
たしぎの言葉に、ゾロは戸惑っていた。
たしぎの様子がいつもと違うと感じたのは、前回、会った時だった。
眉ひとつ動かさずに、問答無用で飛びかかってきた。
オレの目を見ようとはせずに、怒りをぶつけるように、挑んでくる。
もちろん、刀をすっ飛ばして、その場は終わったが、
今日、会った時のたしぎは、痛々しいほど、張り詰めていた。
何かの拍子にポキっと折れてしまいそうで、怖かった。
ちゃんと太刀を受けて、いつもより丁寧に相手をしたつもりだ。
だが、たしぎは自分を斬れと、飛び込んでくる。
「いい加減にしろっ!」
と、時雨をたたき落とし、勝負をつけたら、ああ言われた。
いったいあいつに何が起こったんだ。
******
思い出すのは、一ヶ月程前に、ナミが新聞を見て言ったあの言葉。
「あら、あのメガネの海兵さん、やるわね。」
オレに言ったのか、黙って耳を傾けていた。
「賞金3000万ベリーの海賊を、一人乗り込んで、倒しちゃったわよ。」
「なになに?援軍が着いた時には、お頭達が、軒並みやられていたみたい。」
「結構なこった。」
あの顔が、目に浮かぶ。
「この海賊、女と見れば、酷い事する最低の奴よ。よく捕らえてくれたわ。」
「ふ〜ん。」
聞くともなしに、聞いていたのを覚えていた。
******
あいにく着替えなど、用意されている上等な宿ではなかった。
ストーブに火を入れると、服を脱ぎ、椅子に掛けて干す。
シーツを引っ張ると、身体に巻きつけた。
たしぎに毛布をと、風呂場の前に行くと、中から物音一つもしないので、少し心配になり、
「大丈夫か?」と声をかける。
じゃぶと、湯の音がして、
「今、上がります。」と聞こえたので、ホッとした。
たしぎが毛布を身体にまとって、出てくると、ゾロは背をむけてベッドに座っていた。
反対側に、背中合わせで、腰をおろす。
「変なこと言って、ごめんなさい。」
「なんだよ、その言い方は。」
えらいよそよそしい感じがして、振り返る。
毛布で顔がよく見えない。
「賞金首、捕まえたの、あれ、お前だろ。」
その名を耳にして、たしぎの身体に緊張が走るのが分かった。
「新聞に出てたな。」
「あれは・・・軍の上層部がそう伝えただけで、私は何も・・・」
「何があった。」
「・・・・」
「お前に、そんな顔させてんのは、なんなんだよ。
全部、吐き出しちまえ。」
たしぎの背中に向かって、半分怒りにも似た気持ちをぶつける。
「聞きたいですか?」
振り返り、じっと見つめられた。
「・・・・」
「捕まって、縛られて、
・・・何をされたか、聞きたいんですか?」
たしぎの瞳から、ポロッと涙が一粒こぼれ落ちる。
押さえていたものが、一気に崩れたようだった。
声をあげて、泣き出すたしぎを、きつく抱きしめていた。
何も考えられずに、たしぎはゾロの胸で、泣き続けた。
どれくらい経っただろう、泣きやんだたしぎは
下をむいたまま、身体を預けていた。
じっと、動かずにいたゾロが口を開く。
「・・・全部、ひっくるめてオレにくれねえか?」
その言葉に顔をあげる。
「おまえが、欲しい。」
とん、と頭を胸に預けて、身を委ねる。
触れた指先に力を込めて、小さく頷いた。
「たしぎ。」
名を呼んで、頬に触れてこっちを向かせる。
「やっと、オレを見たな。」いつものようにニッと笑う。
顔が近づいて、唇が重なる。
それは、暖かくて、やさしい唇だった。
〈続〉