夕凪


「お前、なにやってんの?」
「はい?」

ゼミが終わり、建物から出てきたたしぎを待ちかまえていたのは、
腕を組み、仏頂面で、こう問いかけるゾロだった。

壁に寄りかかりながら、ジロっと睨んでいる。
私、何かしましたっけ?
急に言われて動揺するたしぎ。

「たしぎ先輩〜〜!これから、ご飯行きませんか・・・あ・・・」
建物から出てきた後輩の学生二人に声を掛けられ、振り返ると、
「あ・・・やっぱ、いいです。失礼しま〜〜す。」
どういう訳か、引きつった顔で、そそくさと逃げるように去っていった。

再び、前を向けば、ゾロが眉間に皺を寄せ、更に怖い顔で走り去る後輩達を 睨みつけている。
「え?あの?」
状況がつかめず、ゾロと後輩達へ交互に視線を走らせる。

「お前が、そんなんだから変な奴に引っ掛んだろ。」
「えぇ?ただ、ゼミのこと教えたら、今度食事行きましょうって・・・」
「下心見え見えなんだよ、あんな奴ら。
 いくら、スモーカーさんに似てるからって・・・」
その名を聞いて、たしぎの顔が強ばる。

やべぇ、言いすぎた。

「そんな、つもりじゃ・・・」 たしぎが目を伏せる。

「・・・お前、時間あんだろ?ちょっと付き合え。」
ゾロは、たしぎの腕を取ると、歩きだした。
夕方だが、まだ明るい。初夏を思わせる風が、二人の間をすり抜ける。

ゾロはとめてあったバイクの所まで来ると、 たしぎの荷物を自分のリュックに入れる。
それをたしぎに背負わせ、持って来てたヘルメットをたしぎにかぶせる。
たしぎの戸惑う声が聞こえる。
「え?あの?何処行くんですか?っていうか、これに、乗るの?」
ゾロは、笑いながら、「いいから、しっかり掴まってろよ。」

ゾロが先に股がり、たしぎに促す。

おそるおそる手を廻したたしぎの手をギュッと握って、しっかり掴まらせる。
ゆっくりとアクセルを開け、二人の乗ったゼファーが街へと滑り出した。

賑やかな街並みが目まぐるしく過ぎていく。
最初は、建物一つ一つを見ながらきょろきょろしていたたしぎだが、
エンジンの振動と、身体に当たる風が気持ちよく、
しだいに身体をゾロに預け、流れて行く景色を何も考えずに、ただ眺めていた。
市街地を駆け抜け、松林が並ぶ単調な景色に移り変わる。




バイクを止め、ヘルメットを脱ぐと、潮風が髪にはらむ。
「うわぁ〜〜〜、海だぁ。すごい、久しぶり。」
陽を浴びてキラキラと輝く海面に目を奪われながら、たしぎが口を開く。
「行こう!ロロノア。」

って、オレが連れて来たんだぞ、と思いながらも、 はしゃぐたしぎの後を、ついて行く。
途中で、靴と靴下を脱ぐと、たしぎもそれを真似て裸足になる。
細かい砂が、ひんやりと足の裏に触れる。
「気持ちいい〜〜!」

波打ち際まで来ると、行きかう車の音も気にならなくなり、 打ち寄せる波音と風の音だけが、周りを包む。
まだ、海水浴には早いこの時期、人影もなく、 この海辺に二人しか居ないかのようだった。


ゾロはその場にどかっと腰を下ろすとゴロンと仰向けになり、目を瞑る。
たしぎは、ゾロが気持ちよさそうに寝ころがるのを見ながら、 波打ち際に歩いていく。

「うわっ。つめたっ!」
指先に触れる波は、気持ちよくたしぎの足先を洗っていく。
跳ねるように駆け寄っては戻り、繰り返し波と戯れる。
風と波の音だけが、たしぎを取り囲む。
ザザァ、ザザァ・・・
いつしか、時のたつのも忘れて、空っぽになっていた。
ふと、立ち止まり、ゾロの方を向く。
さっきから、動いてないし、連れて来といて、寝ちゃってる?


たしぎは、思い付いたように、手を海で濡らすとゾロに近づき、その頬に触れる。
「つめてっ!」
ゾロが片目を開ける。
「何すんだよっ!」
「だって、眠っちゃったかと思って。」
「寝たら、悪ぃかよ!」
「あは、ほんとに寝てたんですね。」
たしぎが笑う。
「まったく、犬っころみたくはしゃいでよ〜。」
文句を言いながらも、顔は怒っていない。
ムクっとゾロが起き上がる。
「ふふ、楽しいですよ。」
立ち上がり、ゆっくりと波打ち際まで近づく。
波に足を洗われながら、ゾロは大きく伸びをする。

「ん〜〜〜っ!」
と大きく伸びをするゾロの足を、何度も波が覆う。
「うゎお!冷てぇ!」

「ロロノア、反応、遅っ!」たしぎが笑いながら隣に立って顔をのぞき込む。
ゾロが黙って、歩きだすと、波音だけ二人の間を行き来する。
何も話さなくても、そこにゾロがいるだけで、心地よかった。

なんだか、さっきからこいつの顔、まともに見れねぇな・・・。


「あっ!」
急にたしぎが声をあげて立ち止まる。
「ロロノアッ!ほらっ、貝殻っ!」
たしぎが指差した先に、白く光る貝殻が見えた。
引く波にさらわれて、流れていく。
たしぎは、小走りに近寄って手を伸ばす。 波にさらわれる一歩手前で、拾うことが出来た。
「見て!」
得意そうに、掲げてみせる。
「わっ!バカ・・・」
ゾロがあわてて腕を引っ張ったが、遅かった。
バッシャーン!
屈んだ体制で、寄せる波をもろにかぶり、たしぎはシャツまでズブ濡れになった。
ゾロも、腰から下は海に浸かった。

「ごめんなさい!大丈夫ですか?ロロノア・・・」
腕を掴んだまま、憮然とした表情で、ゾロが睨む。
「・・・やると思った・・・」
その顔を見て、たしぎがプッと吹き出した。
「わ、わたしも・・・」
恥ずかしそうに笑うと、たしぎのやさしい瞳が、ゾロを包み込む。
その瞳から、目が離せなかった。

いつの間にか、風は凪いで、濡れた身体も、それほど寒さを感じなかった。
傾いた陽が、辺りをオレンジ色に染めていく。
さっきから何時間もずっと、ここにいるように思えた。


陸風が吹き始めた。太陽がそのひと雫の輝きを落とす。

「さあ、帰るぞ。」
ゾロが海に背を向ける。たしぎも後に続いた。

リュックの中から、雨用のカッパを取り出すとたしぎに 放ってよこす。
「走り出すと、寒くなるから、これ着とけ。」
「あ、ありがとう。・・・ロロノアは?」
「オレは慣れているから平気だ。」
ぶかぶかのカッパを着ると、来た時と同じようにゾロの後ろに乗る。
今度は、何も言われなくても、ギュッとしがみついた。
少しでも、寒くないように。

ゼファーが動き出す。
ゾロは背中が、やけに熱く感じた。


星が輝き出す頃、アパートの前でたしぎを降ろした。
ヘルメットを脱ぐ。
「あの、これ洗って返しますね。」
着ているカッパをつかんで、伝える。
「ああ、いつでもいい。」
「今日は、楽しかったです。ありがとう。」
「・・・あぁ、オレも。じゃあな。」

赤いブレーキランプが角を曲がり、見えなくなる。



******

その夜遅く、部屋の窓を開け放し、ゾロは缶ビールを開けていた。
オレ、今日何しにいったんだ?
あいつに、いくらスモーカーさんが忘れられないからって
変な男に引っ掛かんなよって、言おうとして・・・。

海で楽しそうに笑うたしぎの顔を見ていたら、 結局何も言えなかった。
・・・また、どっか連れてってやろうか。

窓から入る微かな風にあたりながら、ぼんやり考えていた。


〈完〉


海でじゃれ合う、青春、青春・・・