薫風


運送会社のバイトと陸上部の練習で明け暮れた大型連休も終わり、 また普段通りの授業が始まった。
なんとなくざわついて、落ち着かなかった四月とは違い、 皆、それぞれ自分のやるべきことが見えてきたのか、
キャンパスの学生たちは、それぞれの目標を持って歩いているようだった。

久しぶりの陸上部の休みと休講が重なり、まるまる空いた午後に、 ゾロは馴染みのバイク屋に顔を出していた。

フランキーハウスという小さなバイク屋で、 「FH」のロゴの看板が、どこか映画で見たアメリカの酒場のように見えた。
店主はリーゼントで、いつもコーラ片手にバイクをいじっている。
腕は確かで、ゾロの年季の入ったカワサキ ZEPHYR(ゼファー)400を丁寧に面倒見てくれる。
根っからのバイク好きだ。
そして、奥さんがありえないくらいの美人で、どうして、この男に こんな奥さんがいるのだろうと、ゾロは常々不思議に思っていた。
「あら、いらっしゃい。」奥さんのロビンがゾロに声を掛ける。
「あ、どうも。」ぴったりした革ジャンの上から、そのスタイルの良さが分かる。
何やらフランキーと話している、和やかな空気が漂う。
夫婦って、いいもんだなぁ、とゾロは素直に思えた。

「あ、オレちょっとメシ食って来ます。」親指を立て、目的の場所を指す。
「おう。」主人の返事を背中に受けながら、店を出る。
そして、すぐ隣りの小さな洋食屋、「オールブルー」のドアを開ける。

カラン、ドアにつけた呼び鈴が鳴り、カウンターに居たオーナーのゼフが顔を上げる。
「いらっしゃい。いつものでいい?」
< 「あ、はい。」頷いて、カウンターの一番端の席につく。
飴色の椅子とテーブルに、白いテーブルクロスの清潔感が落ち着く、心地良い店だ。

「サンジ、スペシャル、一つだ。」
厨房の奥から、金髪の頭が揺れ、目が合う。
おまえか。目がそう語っている。 話した事はないが、オレと同じくらいの歳だろう。
いつも睨むような目つきで、いけ好かない野郎だが、出される料理はめっぽう上手い。
以前、女の客に猫なで声で、話しかけてたのを見たことがある。 やっぱり、気に食わない野郎だ。
手元にある雑誌をパラパラめくりながら、料理を待った。

料理は、やっぱり、美味かった。

「ごちそうさまでした。」手を合わせて小さく呟く。
小さい頃からの癖で、どうも抜けない。まあ、やめる気はないんだが、
だいぶ前に部のメンバーで食事会という名の合コンに出たときに、初対面の女に笑われた。
どうってことなかったが、それ以来、見知らぬ奴と食事する度に相手の反応が気になった。
この前は、そうだ。あのメガネとメシくったっけ。
マカロニサラダ、どんだけ食うんだっていう量で。
あれ、美味かったなぁ。満腹になった頭に、どうでもいいような事が浮かぶ。

会計を済ませようと、席を立つと、オーナーが声を掛けてきた。
「ゾロ君。時間があったら、ちょっと手伝っていかないかね。今日のお代はいいから。」
見ると、そう広くもない店内の席は全て埋まり、店の外にも数人並んでいる。
「オーナー、頼むんなら、もうちょい愛想のいい、可愛い女の子にしてくださいよ!」
厨房の中から、鍋を振りながらサンジが口を挟む。
ゾロは、ムッとしてサンジを睨みつける。
「あと、目つきのいい奴!」続けて飛んでくる。
「いやあ、大丈夫。フランキーからも、礼儀正しい青年だって聞いとるしな。  どうかね、手伝ってくれるかな。」

「あ、いいですよ。」ゾロにとっても、食事代が浮くのは魅力だった。
「ほれ。ヘマすんなよ。」と奥から、面白くなさそうにサンジがエプロンを持ってくる。
オーナーに手順を簡単に教えてもらい、フロアに出ていく。
まったく愛想はないけれど、ゾロの動きに無駄がなかった。
料理を運ぶついでに、空いた皿を下げ、テーブルを片付ける。たまっていたグラスまで、洗っている。
オーナーはそんなゾロの働きを、ふむふむと笑って眺めていた。

あらかたの客がはけ、やっと一息つけたのは、二時間程経ってからだった。
「ご苦労さま。ちょっと一服して。」オーナーが声をかける。
「あ、すいません。」ゾロはカウンターに腰を下ろす。
「悪いね、食事代以上に、働いてもらっちゃったね。」
コトッ、目の前にアイスクリームサンデーが置かれた。
サンジが厨房から持ってきた物だった。
練習で疲れが溜まった時に、食べたりする。覚えてたのか。
サンジの気遣いに、気はずかしくも、思わず手を合わせて「いただきます。」と呟く。
あ、と思い顔を上げると、サンジは、背を向けグラスを片付けていたので、その表情は知ることはできなかった。

まばらになってきたフロアは、だいぶ静かになり、すぐ後ろのテーブルの客の話し声が聞こえる。
聞くともなしに、耳に入る。どうやら、ゾロの大学の生徒らしい。

「おまえ、どうすんの?あの眼鏡の先輩。けっこう、脈ありそうじゃん。」
「ん?どうしようかと思ってさぁ。あんまり、入れ込まれると、怖いなと思ってよ。」
「とっとと、一発やったら、サイナラしちゃえばいいじゃん。」
「やっぱ、寂しそうな女に限るね、すぐ、こう潤んだ目で見つめてさぁ。」
「まったく、ゼミの先輩なんかに、手出すなよ、後々面倒だろ。たしぎっていう名前だっけ?」
「くくっ、ああ。」
「あ、ちょっとぉ、灰皿もらえる?」 エプロン姿のゾロに向かって声を掛ける。

ゾロの背中が固まる。

ゆっくりと立ち上がり、後ろを振り向くと、
「店内、禁煙となっております。お皿、お下げしてもよろしいでしょうか?」
低く、抑揚のない声で尋ねる。その、冷たい響きにギョッとして顔を上げる二人の客。
一人は、短い白髪で、手には煙草を持っている。
ギロリと睨みつけると、黙って皿を下げて行く。そして、戻って来ると
「他にご注文は、ございませんか?お客様。(なけりゃ、とっとと帰りやがれ!)」
と、聞こえたような接客で、テーブルの傍らに立ちはだかる。
その迫力に恐れをなして、「い、いえ、ありませんっ!」
というと、ガタガタと席を立ち、足早に店を出ていった。

しばらく、二人の消えた方向を無言で睨み付けていたゾロに、サンジが声を掛ける。
「何者?あいつら。」
その声に振り向き、すまなさそうな顔をする。
「わりぃ、二人程、客減らした。」
「ま、いいけどよ。下品な客は、こっちから願い下げだ。」
 
「・・・なんか、あったのか?」
「いや。」
そっと出されたホットコーヒーに促され、腰を下ろす。
「先輩の彼女、好きな奴が出来たからって、先輩と別れて・・・
 その好きな奴ってのが、どうやらさっきのふざけた野郎らしくて・・・」
「あんまり、酷い事話してるんで、つい?」
「ん、あぁ。そんなもんだ。」
「ほっとけないって訳だ。」
「・・・・いや・・・違う・・・と、思う。」
はっと顔を上げ、慌てて否定するように話し出す。
「なんか、さっきの野郎、その先輩に似てるもんで・・・髪の色も、煙草吸ってるて所も。  きっと、あいつ、忘れられないんじゃないのかって・・・」
言葉に詰まり、横を向く。
「心配する理由には、十分だ。」 サンジが意味ありげに、笑ってみせる。
その笑みの理由など、ゾロには検討もつかず、席を立つ。
「ごちそうさん。美味かった。」

「ありがとう。またいらっしゃい!サービスするよ。」オーナーが奥から、にこやかに声を掛ける。
「どうも。」ペコリと頭を下げると、店を後にした。

「オールブルー」もランチの後の夜の仕込みに入る。
ドアに "CLOSE" の札が掛けられ、カウンターで、サンジがコーヒーをすすりながら呟く。
「どっちかっていうと、あいつに似てるけどな、さっきの男。」

*****
何やってんだ、あいつは。
さっきの男に対する怒りなのか、たしぎに対する怒りなのか、
釈然としない思いでバイクにまたがり、夕暮の街に飛び出していった。


〈完〉