研究室から見下ろす桜が色づき始めた。
たしぎは、ずっと頭の中に霧がかかっているような気分でいた。
いつもは、心浮き立つ時期なのだが、今年はそんな気分にはなれない。
宵闇に浮かび上がる夜桜の方に、なんとなく心魅かれた。
火を放てば、あの人と会えるというなら、お七のようにこの地を焼き払ってしまおうか。
そんなことを思いつく自分が怖いと、笑ってしまう。
つらつらと、一週間ほどが過ぎた。
沈んだ気持ちに、とことん浸ってしまうと、少しづつ浮上することが出来た。
このままではいけないと思い始める。
「よしっ!」
たしぎは、台所に立った。
30分後、ボールには山盛りのマカロニサラダが出来ていた。
「ふっふっふ。」
その出来に満足しつつ、タッパーにサラダを詰める。
携帯ポットにお茶を入れて、準備万端。
今日は花見をしよう。
たしぎの、気持ちを後押ししてくれるかの様に、天気はうららかだった。
キャンパスを縁どるように、桜の木が植えられている。
たしぎは、研究室のある4階から見えるお気に入りの場所に陣取って、一人用のシートを広げていた。
建物の影になっていて、人はあまり通らない静かな場所だ。
来る途中、あちこちの桜の木の下で、弁当を広げている学生達がいた。
「青春だなぁ。」と呟く自分も学生なのだと、笑う。
タッパーを取り出して、お茶を注ぎ、一人食べ始める。
時折、桜の花びらが、ひらりひらりと舞い落ちる。
いろんな想いが巡る。
「あ、そっか。」
「・・・だよね。」
つい出てしまう独り言に、可笑しくなる。
ふぅと息を吐き出すと、木の幹にもたれかかる。
揺れる盛りの枝を眺めつつ、ほのぼのとした陽射しの中、いつしか頭の中が空っぽになっていた。
どれほど時が経ったのだろうか。
薄紅(うすくれない)の向こう側に、若葉が見えた。
桜が終われば、新緑かぁ。
若葉も好きだなぁ、爽やかで 清々しくて。
「お前、なにやってんの。」
喋ったのは、若葉ではなく、ロロノアだった。
「あ。花見・・・」
「ふうん、オレ一時間前にここ通ったけど、お前、居たよな。」
「へ?」全然気付かなかった。って、お前呼ばわりなのね。あの時以来しょうがないか。
「飯食ってんのか?」
「あ、はい。」
「よかったら、食べます?これ。一杯作ったんで。」
手元のタッパーを差し出す。
「・・・じゃ、オレも、ここで昼飯、喰う。」
たしぎの隣に、ドカッとバッグを置いて腰を降ろす。
よく見れば、手元に学内の売店の袋。ガサガサと弁当を取り出した。
おもむろに、たしぎの差し出したマカロニサラダを凝視する。
「お前、これ全部食べるつもりだったのか。」
たしぎも、相当食べたが、大きいタッパーに、まだ半分以上残っている。
「他に、ないのか?」
「うん、これだけ。」へへへと照れて笑う。
「お前、やっぱり、変わってんな。」
「へへ。」ひたすら笑うしかない。
「ん、うめぇ。」ゾロはサラダを頬張りながら、目を細める。
思いのほか、嬉しかった。
ゾロの隣、暖かい日だまりの中、たしぎは心地よかった。
時はゆっくり流れ、そよぐ風も、たおやかで、のどかで、どこまでも優しかった。
口は悪くて、ぶっきらぼうだけど、ロロノアは、あったかいなぁ。
春の陽気のせいだけじゃ、ないよね。
ゾロも弁当を食べ終えると、何を話すでもなく、ただ座っている。
気の抜けた眠そうな顔をしている。
「おっ、部活だ。ごちそうさん。美味かった。あんがとな。」
急にスクっと立ち上がる。
「ほれ。」売店の袋から取り出したのは、プリンだった。
たしぎの手に、乗せると、肩掛けのバッグを持ち上げる。
「あ、ありがと。」
プリン二つ、一緒に食べるつもりだったのかな。
たしぎは、座ったまま、眩しそうにゾロを見上げた。
ゾロは、二、三歩離れると、振り向いてたしぎをじっと見つめる。
「好きな奴、いるんだろ。・・・よかったな、早く立ち直れそうで。」
たしぎは動けなくなった。
ゾロの言葉が、胸に突き刺さる。
急な突風に、桜の花びらが景色を覆うほど乱れ舞い散る。
たしぎは思わず髪を押さえ目を瞑る。
風がおさまり、顔を上げた時にはもう、走り出したゾロの背中は、見えなくなっていた。
〈完〉