見上げる空は、どんよりと重たかった。
霧のような、小雨が顔にかかる。
スモーカーは行ってしまった。
マリージョア大学で、講師としての新しい生活をスタートを切っていることだろう。
スモーカーと会ったのは、彼の送別会の時だった。
たしぎが自分から別れを切り出してから、初めて顔を合わせた。
「元気でやれよ。」
「スモーカーさんも。」
それが最後に交わした言葉だった。
拍子抜けするほど、呆気なかった。
今思い出しても、笑ってしまう。
こんなものなのだろうか。
******
講師の話がきた、とスモーカーから聞かされたのは、
年明け最初のゼミの準備に追われてた時だった。
田舎の土産を手渡し、年末年始にスモーカーが帰省しなかったことを知る。
「本当ですか?すごいですね。」
あまり感情を表に出さないスモーカーが、素直に喜んでいた。
「ああ、この間、話を聞いてきた。」
「どこの大学ですか?」
「マジョーリア大学だ。」
「ええ?すごいですね。」
「クザン教授の口添えあっての話だが、オレはこのチャンス、掴みたいと思っている。」
「おめでとう!」
ふと、これからはそう頻繁には会えなくなってしまうのだと気づいた。
スモーカーは、そんなたしぎの様子を気にもとめず、話を続ける。
「・・・という訳だ。おい、たしぎ、聞いてるかぁ?」
「あ、はいっ。聞いてますよ。ほんと、よかったですね。」
「今の所からじゃ、通うのが大変になるし、引っ越しを考えてる。」
「え?」
急な話だが、それも仕方のないことなのだろう。
「じゃあ、これから部屋探しとか、忙しくなりますね。」
「あぁ、それが、大学の・・・方で、紹介してくれた部屋があってな、そこに決めようかと思っている。」
たしぎは、自分が知らない所で進んでいくスモーカーの話に、少しだけ焦りを感じた。
*******
あの日、たしぎは珍しく都心に出かけた。
用事の帰りに、思いついて、マリージョア大学のキャンパスに立ち寄ってみることにした。
電車を途中で降り、駅からマジョーリア大学へと歩きだす。
たしぎ自身が大学生ということもあり、軽い気持ちで門の前に立つ。
キャンパスは、都心とは思えない程広々としていて、銀杏並木が並んでいた。
秋にはさぞかし鮮やかだろうと、想像できた。
スモーカーが専攻する学部学科の建物を、案内板で探していると、ふいに後から声を掛けられた。
「どちらへ?」
「あ、はい。政治学科第一の・・・」
答えながら振り向くと、背の高い女の人が立っている。
学生には見えない。職員だろうか。
「あら、私もそこに行くから、案内するわ。」
「いいえ、そんな。」遠慮するたしぎの返事もろくに聞かず、歩き出す。
「で、政治第一には、どんな用事?」
「あっ、えと、院の試験の要項を・・・」
咄嗟に口から出た言葉は、まんざら嘘ではなかった。
スモーカーが行く所なら、私も行ってみたいと考えた事は確かだ。
「へぇ、女の子で、珍しいわね。って私もそうだったわ。」
「?」
「あ、私、こう見えても、講師よ。政治学科第一のね。
現代社会における、正義のとは何か。なんて語ってるのよ。」
ふふっと長い髪をかきあげて、笑う姿は、圧倒的という言葉がピッタリくる程美しかった。
「私は、ヒナ。ようこそ、マジョーリアへ。待ってるわ。」
建物に到着すると、教授一人一人名を挙げて、専門や口癖までも、面白可笑しく説明してくれた。
たしぎは、ヒナの話に引き込まれ、時間が経つのを忘れていた。
スモーカーの名がヒナの口から出てくるまでは。
「そうそう、春から一人、癖のある講師がやってくるわ。スモーカー君っていうの。」
「何するか解らない奴みたいだけど、彼とは面白い話ができそうね。」
楽しげに離すヒナを見て、胸が締め付けられた。
******
嘘をついた。
「好きな人ができました。」
心のどこかに、俺もだと、スモーカーさんが言ってくれるのではないかと期待があった。
しかし、スモーカーの反応は違っていた。
「誰だ?そいつは。」
一瞬だけ、ロロノアの顔がよぎった。
「スモーカーさんの知らない人です。」
「・・・・そうか。ゾロじゃないのか。」
たしぎは、黙っている。
「あいつなら、仕方ないと思ったんだがな。」
ハッとして顔を上げる。
どういう意味ですか。
スモーカーの意図がまるで解らない。
「わかった。」と言うと、スモーカーは去っていった。
たしぎは、座ったままテーブルの上の残ったコーヒーを、ただ眺めている。
思っていた以上に、別れはあっけなく、
たしぎの心は、凍った水面のように、何も感じなかった。
〈完〉