氷と鏡 2



入り江を取り巻くようにそびえ立つ山々の細い道に
男が一人、馬に跨りアレンデールを見下ろしていた。


豊かな国だ。

目深にフードを被り、顔はよく見えない。

それでも、仕立ての良いマントとよく手入れされた馬具は
この男の育ちの良さが滲み出ている。



男の名前はハンス。
かつてのアレンデールの危機の真相を知っている数少ない一人だ。


「行こう、シトロン。」

男がたずなを引くと、白い毛並の馬は、軽やかに 急な山道を下り始めた。



*****


「後から、連れが来るから、待たせといてくれ。」

そう宿屋の主人に伝えると ハンスは街へと出かけた。

アレンデールの街中は、至る所に花が飾られ、 色とりどりのリボンが華やかさを増していた。


ハンスは一軒の食堂に入った。

「この店で一番のおすすめを頼むよ。」

質素な身なりだが、どこか気品のある旅人に
店のおかみは、色よい返事をして奥に引っ込んだ。

通りを見渡せる席で、ハンスは行き交う人々を眺める。

どの顔も、生き生きとしている。


・・・いい国だ。

ハンスは、運ばれてきたワインで喉を潤した。


「お客さん、観光客かい?」

「あぁ、そんなものだ。」

「やっぱり見たいよねぇ。アナ王女の花嫁姿。  こっちまで幸せになっちまうよ。」

「みんな祝福ムードだね。」

「もちろんだよ!我がアレンデールを救ってくれた王女だもの。
 アナ王女がいなかったら、エルサ女王は魔法でこの国を滅ぼしていたかもしれないんだよ!」

「あぁ、今はもちろん、魔法を完全に制御できるから心配ないんだけどさ。」

おかみさんが、あわてて付け足したのは、ハンスの眉がピクリと動いたからだろうか。


「エルサ女王は、物静かで、思慮深いお方だよ。
アナ王女とは正反対だけど、しっかり国のこと考えて一生懸命  やって下さっているよ。」


「でも、アナ王女が結婚したら、寂しいだろうね。」

あははと大きく口を開けておかみさんが笑う。

「同じ国にいるんだもの、心配ないよ。」


料理の盛られた皿を運んでくると、おかみさんは奥に下がった。



アレンデールの近隣諸国を旅をして回り、聞こえてきた噂は、アナ王女の評判だった。

明るくて素直で、ほんとうに愛らしい。
裏表がないから、信用して付き合える。


アナ王女を悪く言う者は、誰もいなかった。

外交とは、そうに単純いくものでもないんだろうに。
ハンスは、アナの評判の良さに、背後にいるだろうエルサの采配に思いを巡らした。



料理の皿がきれいになった頃、痩せた老人が店に入って来た。

「探しましたぞ!ハンス様!
 こんな騒がしいところにいらっしゃったとは!」

ハンスは、笑って答えた。

「よく見つけたね。さすが、爺やだ。」

「当たり前です!幼少の頃から、ハンス様にお仕えしてきたのは
 このわたしめしかございませんから!どこにいようと見間違うことなどありません。」

胸を張って、ハンスの前に立つ。

「元気そうでよかったよ。」
ハンスは笑いながら立ち上がると、代金を払い、爺やと呼んだ老人とともに店を出た。
宿屋には、大きな馬車が二台も停まっている。
「これ、全部爺やの荷物かい?」
ハンスが驚いて、たずねると、爺やは首を振って答えた。
「何をおっしゃいます!全てハンス様の荷物でございます!」
「アレンデール王女の結婚式にご招待いただくなんて、
 名誉なことでございます。失礼があってはなりません。
 我がサザンアイルズ王国の一級品ばかり集めてまいりました。」

「あぁ、贈り物ね。」

ハンスは胸を撫で下ろす。

「それは、後から五台の馬車で運んでくる予定です。」

ハンスは力なく天井を見上げた。



宿の部屋に戻ると、爺やはめんどくさそうな素振りのハンスを立たせ、
持ってきた洋服の細かい採寸を始めた。

「ハンス様、たくましくなられましたね。」

余裕を持って大きめに作られた洋服を、それほど詰める必要もなかった。
長い旅を続けてきたハンスの胸板や足腰は、細いながらも無駄のない筋肉に覆われていた。

「幼少の頃は、食が細くて、爺は心配いたしたものです。
 ほんとうに、立派になられて・・・」

爺やが目頭をそっと押さえる。

「やめてくれよ。」

ハンスは、困ったように眉を寄せた。
爺やの気持ちも、手に取るようにわかる。

ハンスは言われるままに、何着もの洋服を着替えた。



*******



夜になり、一人部屋のベッドに寝転がる。

爺やと御付きの者達に、食事をとらせ ゆっくり休養するようにと伝えた。

暗くなっても街は賑やかで、出かけた者もいるようだ。



ハンスは、何故自分が結婚式に呼ばれたのか疑問だった。

アレンデールの王女と女王を殺そうとした男だ。
二年前、追放されて、それで終わったんじゃないのか?

なにを今更。

あの時、不思議だったのは、サザンアイルズに帰国後、
どんな処罰を受けるかと思った割には、城での謹慎という、軽い処遇だった事だ。

後になり、アレンデール側からの口添えがあったと聞いた。

「お前は、運がいいよ。」
何番目かの兄が、そう呟いていった。



誰も逢いに来ない一人の屋敷で、ただ時間が過ぎるのを待つだけの日々。

見つめるのは鏡に映った自分の顔だけだった。



*****


幼い頃の記憶がよみがえる。

誰も自分を見ようとしない。
話しかけようとしない。

ボクは本当にここにいるの?

自分の存在があやふやで、 人の目を見ることが出来なかった。

ある晩、満月に祈った。

誰もがボクを見るようにして下さい。


暗闇の中、女の人の声が聞こえた。

あなたの願いを叶えてあげる。
これからは、みんなが、あなたを見るわ。

さぁ、これを受け取って。
魔法の鏡よ・・・


キラキラ輝いて降りてくる鏡の破片に
手を伸ばしたところで、目が覚めた。


その日から、どういう訳か、 みんながボクを見るようになった。

そして、問う。

ねぇ、どう思う?
これはどうだ?

ボクは見たまま、感じたままをこたえると
ある者は怒り、ある者は喜んで帰っていった。

ずっと不思議に思っていた。


そして、ある時、誰かが言った。

「あなたは、自分というものがないの?
 言ってることが、バラバラじゃないの!」

ようやく気付いた。
己の中にある鏡の存在を。

その時には、もう遅かった。


ボクには自分というものがなかった。


*****



あのとき、アレンデールの牢屋の中、 ボクは心からほっとしていた。

取り返しのつかない事をするところだった。

誰も死なずにすんだ。


エルサを殺さなくて、本当によかった。


ありがとうアナ、ボクの剣を止めてくれて・・・・


城の中、悠久とも思えるほどの時間の中、
鏡に映る自分を見つめ、ただひたすら問うていた。


自分の心はどこにあるのか。

ボクが本当に欲しいものは・・・


******


城の中で、一年を過ごした頃、国王である父に願い出た。

諸国を見てまわりたい。

最初は、話も聞いてもらえなかった。

身分も何もいらない。
たとえ野たれ死んだとしても、決して王国の名を出さないと。

ただ一つだけ約束をさせられた。
三か月に一度は、王国に戻り、顔を出せと。

何を今更と、尋ねると、
どういう訳か、アレンデールの王女が お前の様子を聞きたがるという話だった。

サザンアイルズとしても、無碍にできない。
せめて、安否だけは定期的に報告しろと。

その条件を呑み、旅に出た。

サザンアイルズを遠く離れ、ようやく気付いた 幼い頃からの、自分の気持ち。

ボクは、父のように皆に慕われる国王になりたかったのだ。


遠い異国の地で、満天の星空を眺めていると、
素直に、父に対する思慕を認めることが出来た。

大好きだった。

父も母も兄達も
皆を誇らしく思っていた。

いつからか、自分を認めてもらいたいという欲求が強くなり
その方法だけを求め、 自分を見失っていたのだ。


******


ふっと小さく息を吐き出すと ハンスは目を閉じた。

遠くから風にのって、宴の声が聞こえてくる。

ようやく見出した自分の根源を、もう見失ったりはしない。

この鏡に、振りまわされない程には 強くなったつもりだ。

そっと胸に手を当てる。

深いブルーの瞳に、力強い光が宿った。


二年の月日は、ハンスを大きく変えていた。


〈続〉






H26.6.22 こそっとUP♪