「俺は一旦、G-5に戻る。一人で平気か?」
「大丈夫です!私のことは気にせず、任務に戻って下さい。」
夕食の時、スモーカーがたしぎに告げた。
たしぎがここに来て、2週間が経とうとしていた。
スモーカーはマリンフォードでの任務を終え、
G-5に一度、戻らねばならなかった。
隊長がいつまでも隊を離れている訳にはいかない。
「また、一週間程で戻ってくるから、ゆっくりしておけ。」
「すいません。」
それまでには治しておきますと言いたかったが、
たしぎは言葉を呑み込んだ。
常に先の見えない不安が付きまとう。
そんなたしぎの胸中を察したのか、
「まぁ、焦るな。こういう事は、時間が必要だ。」
と言って、スモーカーはたしぎの肩に手を置いた。
******
スモーカーがG-5に戻り、一人になったたしぎは
何もせずに部屋で一日過ごしていた。
スモーカーがいる時には
少しでも早く治さなければと、
一生懸命、気分転換になるようなことをしていた。
それがまるで自分の仕事かのように。
ひとりになると、何もする気が起きなかった。
気分転換って、一生懸命することじゃないんだな・・・
美味しいものを食べても、買い物をしても、街にでかけても、
べったりと心に張り付いた闇は、消えてくれなかった。
もう、どうなってもいい・・・
何だか、すごく疲れた。
数日後、たしぎは重い身体を引きずるように
ようやく動き出した。
新しく買った服を出す。
スモーカーの前では、気恥ずかしくて着れなかった
ワンピース。
少し胸元の開いた大人っぽいデザインだ。
店員に勧めらるまま買ってしまったものだか、
身につけてみれば、まんざらでもない。
鏡の前で、自分の姿を眺めて、口紅を塗った。
違う自分を演じてみようか。
何か変わるかもしれない・・・
壊れてしまえばいい、こんな自分。
ふっ。
鏡に映る自分の姿を、諦めたように嘲笑った。
たしぎは、普段行かないようなお洒落な店で
カウンターに座り、お酒を頼んだ。
こんな風に座ってたら、いい女に見えるかな。
口当たりのいいカクテルに
思う以上に、酔いがまわっていた。
「ひとり?」
声を掛けてきた男がいた。
黙って頷く。
「隣りに座っても?」
曖昧に返事をしながらも、たしぎは
気分がよかった。
軽い会話が弾んだ。
もう悩むのは嫌なの。
笑っていたい。
「別の場所で、飲み直さない?」
男に言われるまま、店を出た。
思ったより飲みすぎた。
足元がふらつく。
「大丈夫かい?ほら、つかまって。」
男の手が腰に廻された。
「だ、大丈夫です。一人で歩けます。」
反射的に身体を離そうとするが、男の身体が密着してくる。
「なぁ、お前もその気なんだろ。」
耳元で囁かれて、ゾッとした。
「ちがっ!」
必死で振り払おうとした腕をつかまれ、動けなくなる。
いいじゃない。
どうなったって・・・
投げやりにも似た気持ちがたしぎの頭に浮かんだ。
急に身体に力が入らなくなる。
引き寄せられるまま、男に身体を預けた。
生ぬるい泥沼に、沈んでいくような感じがした。
「あ・・・いや、別に、そういうつもりじゃ・・・」
不意に、腕が軽くなったと思ったら、
男がたしぎを突き放すように離れた。
何が起こったのかわからないまま、
走り去る男の背中を見ていた。
「何やってんだ?お前は。」
すぐ後ろで、聞き覚えのある声が響いた。
え?
振り向こうとして、足が絡む。
ヒールが脱げて、その場にへたり込んだ。
ブーツと刀の鞘の先が三本、目に入る。
見上げようとして、顔をあげると、
ぐらりと街灯がゆがんで、記憶が途切れた。
******
ザッ、ザッ・・・
規則正しい足音で、たしぎは気づいた。
揺れる身体、あたたかい。
薄く目を開けると、翡翠色の髪が頬に触れる。
マントに包まれたまま、ゾロに背負われていた。
「何やってたんだ?あんな所で。」
不機嫌なようで優しい声が、
この背中がロロノアだということを知らせてくれる。
「別に・・・どこで何をしようと、私の自由です。」
あんな無様をさらしてまでも、意地を張る自分が情けなかった。
だって・・・言える訳ないじゃないですか。
どうなってもかまわないと思ってたなんて。
「あぁ、そうだな・・・」
いつものように、言い返すたしぎにゾロは少し安心した。
「今日は、刀差してねぇんだな。」
からかうように放った言葉で、背中のたしぎが息を呑む気配がした。
「あなたに、何がわかるって言うんですか・・・」
消え入りそうな声が、震える。
「あぁ・・・そうだな。」
オレに何も言う資格はねぇ。
この人は、こんな私を見て、なんて言うんだろう。
刀を抜けなくなった剣士を前に・・・
何も返ってこなくてもいい。
たしぎはただ、楽になりたかった。
「わたし・・・怖いんです。
時雨が・・・抜けない・・・抜くのが、怖い・・・」
まるで、懺悔をするかのように、誰にも言えなかった心の内を明かす。
言ってしまうのが怖かった。
認めてしまったら、どうなってしまうのか
自分でもわからなかった。
「そうか・・・」
ゾロは、そう言っただけで、黙って歩き続けた。
「このまま、どうやって、生きろと・・・」
摺り寄せるたしぎの頬が、ゾロのうなじを熱くした。
それほど迷うことなく宿屋に辿りついたのは
きっと、ゾロの方向感覚が戻っていなかったからなのだろう。
眠ってしまったのか、おぶわれたたしぎは
あれから何も喋らない。
ガチャ。
部屋のドアを開けると、灯りもつけずに
たしぎをベッドに降ろした。
まどろみの中で、たしぎの耳にロロノアの声が届く。
なあ、たしぎ。
もう、お前、戦うな。
刀が振れなきゃ、生きている意味がねえだの、
莫迦なこと考えてんじゃねえだろうな。
生きているだけでいいじゃねぇか。
他に、何もいらねぇよ。
たしぎの髪にゾロの指先がそっと触れた。
ガチャ。
ロロノアの気配が消え。
音が消えた。
ロロノアの言葉だけが蘇る。
こんなにも優しい言葉を。
でも、涙が頬を濡らすのは何故。
たしぎの指先が、何かを求めて空をさまよった。
〈続〉