2 〜便り〜
島に上陸する度に、ゾロは、街を歩き、酒場に出向いた。
一味の誰もが、いつものゾロの行動だと、気にも留めなかった。
自分でも、気付いていなかった。視線が誰かの姿を探して彷徨うことを。
海軍の姿を見かけても、黒髪の眼鏡をかけた女を見かけても、刀を差した者を見かけても、
別になにも感じなかった。
ただ、そういうものを、見つけては、違うと判断していた。誰と違うというのだ。
オレはあいつがいなくなった所で、全く動じてはいない。
そう思いたかったのだろうか。
そんなゾロの目の前に、再びスモーカーが現れたのは、三月(みつき)も過ぎた頃だった。
七月のまだ、明るい宵、酒場は仕事を終えた男たちが集まり始め、解放感にあふれていた。
そんな中、ゾロは一人、動くことなく静かに杯を傾けていた。
「相変わらずだな。」
テーブルに近づいてくる姿は以前と同じで、ゾロは既視感の襲われ、思わず身構える。
スモーカーは、何か言いたそうな顔で、しかし、どこか言いあぐねてる様子だった。
あいつの行方がわかったのか。あいつは無事なのか。
湧き上がる問い掛けを、飲み込んで、
すがるような目つきを隠すように、視線を外す。
スモーカーはその様子を見て、少し安心する。
ゾロが今でもたしぎの事を気にかけていると。
スモーカーは、おもむろに、封筒をひとつ、テーブルに置いた。
「俺宛に、先月届いた。たしぎからだ。突然辞めたことへの詫状だ。
その中に、これが入っていた。もし、お前に会うことがあったら、渡してほしいと。
消印は、イーストブルー。それしか解らん。」
ゾロの様子をうかがいながら、スモーカーは先を続ける。
「さすがに、海賊宛に手紙は送れねぇから、俺に送ったようだ。
いつ会うとも解らんお前に渡せとは、無理言いやがる。しかも、海軍の上司に。
なに考えてるんだ、あいつは。ひと月も経って、だいぶ皺だらけになっちまったが、
確かに、渡したぞ。」
それだけ伝えると、じっと耳を傾けて動こうとしないゾロの前に、封筒を押しやる。
「いいか、今日はたしぎに免じて見逃してやる。今度あったら、覚悟しとけ。」
そう言い残すと、酒場を後にした。
外に出たスモーカーは、新しい葉巻に火を点けると、大きく煙を夜空に向かって吐き出した。
まったく、これでいいんだろ、たしぎ。世話が焼けるぜ、お前らには。
ゆっくりと、歩き出す。
*******
スモーカーが、酒場から出ていくのを視界の端で捉えながら、
ゾロは、目の前に置かれた封筒を、見つめていた。
たしぎが生きている。
立ち上がり、封筒だけは離さぬようにしっかり掴み、店を出る。
どこをどう歩いたのか定かでなかったが、
海岸線まで出ると、月が明るく照らす浜辺に腰を降ろす。
波の音が、はやる鼓動を落ち着けてくれた。
ゆっくりと、封を切り、一枚の便箋を取り出す。
封筒の大きさに合わせたような、小さい紙片に、少ない文字が見える。
あなたの、ご武運を祈っています。
細い筆で書かれた、優しい字。左下に たしぎ と綴られていた。
たしぎ。書かれた名前を読んでみる。
「たしぎ。」
今度は声に出して、呼んでみる。
ぐっと、拳を握り締め、自分の額を押し付ける。
生きている。
たしぎが、生きている。
想いは、その一点だった。
それだけでよかった。
それがすべてだった。
額を乗せた手が、濡れるまで、自分が泣いていることに気付かなかった。
顔を上げると、月の光が包み込むように降り注ぐ。
風もなく、波の音が、再び耳に帰ってくる。
はらり、何かが封筒から、こぼれ落ちた。
拾い上げると、それは、深緋色(こひきいろ)の花びらだった。
便箋をひっくり返すと、はらり、はらりと、何枚もの押し花にした花びらが舞い落ちる。
ゾロは、目を凝らして見つめていた。
かすかな香りが漂う。
椿だ。
そして、気がつく。この椿の意味を。
目をつぶり、天を仰ぐ。
まぶたの向こう側の、月光を感じながら、自然に笑みが漏れる。
ゆっくりと、目を開けると、愛しむように
砂の上に落ちた、花びらを、ひとつ、ひとつ、拾い上げる。
そっと、封筒に戻す。
静かに打ち寄せる波。海は、ゾロの心のように凪いでいた。
〈続〉